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2005年5月

2005年5月30日 (月)

歩く男。

通勤にはウオークマン、、、、、だったはずだったのですが、先日ちょっと考えがゆらぎました。

ウオークマンを最初に使ったとき驚いたのは、見慣れた風景に自分でBGMを付けられるということ。街中をジミ~に歩いているだけなのに、晴れ晴れと、あるいはクールに歩いている自分がいる。
逆にいえば、そこにどんな音楽を選ぶかで、自分の気分をある程度操作できるということです。

というわけで、働き始めてからずーっと、何かの音楽を聞いているという状況が続いていました。でも、最近、ふと、思いました。家でスピーカーを使って聞かず、ウオークマンだけで聞いて終わってしまう音楽が多いことに。ウオークマンはどうしても音質とか、周りのノイズとかが入ってしまうので、もっと丁寧に聞いたほうがいいのではないか、ということ。

でも、もう一つは、街の音自体を楽しんでないな、とというのも思ったのです。実は、こっちの方が大きい理由。

足音、視覚弱者用のピンポン音、車、話し声、鳥の声。こういう音を、それぞれ聞きわけながら歩いているのも、悪くないな、と思ったのでした。

こういう風に考えるようになったきっかけが、深夜にペルトを聞いていたこと。
Arvo Part / Tabula Rasa
"Tabula Rasa"

part


理由は、、、、いつか、続きを書きます。

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2005年5月23日 (月)

ずれていく、、、。

昨日はチェロの練習日。

ごくごく簡単な曲、のつもりなのに、最近妙に音程が悪いなあ、と自覚があり、先生に聞いてみました。
ここで即座に音程修正レッスンへ移行。音程のみといっても過言ではなかった。。。

これは、ごく初心者向けの話と思ってください。

ある音の音程が悪いと言うのは、その前の一連の音に、音程を狂わせる「ワナ」があります。
広いポジションがあったり、移弦があったり、弓の不規則な動きがあったり、と、一曲の中に「ワナ」は山ほどあるわけですが、自分が今引っかかっている罠は何か、を自覚することが大切というわけです。

言い換えれば、「この音」だけを直しても無駄。その前の音の動きのどこかに、あとあと音程が悪くなるタネが秘められているということ。音程が悪いなあ、と思って、そこだけを直しても、かえって変なくせがつくだけ。音程が悪くなるに至る自分の癖を見極めて、「癖」を修正していかないとだめなんです。


自分の音楽の聴き方になぞらえてしまいましたよ。
偏った曲が好きになり、それを聞きこんだり似た曲を探していくうちに、さらに偏って修正不能なまでにずれていく、、、、。

曲の好みなら、正しいも間違っているもないんで、いいんですけどね。

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2005年5月19日 (木)

大人の、「大人買い」。

近所のカード屋さん(?)に行ってきました。小中学生の男の子たちでぎゅうづめ。
で、私のお目当ては中古CD。よさげなのを3枚見つけてレジに並んだ、まではいいのですが、小学生たちがレジ周りに立ち並び、店員さんと無意味に漢気あふれる会話が爆走。

「○○のカード、いくらで売ってる?」
「こないだ、○○くん、うちに売ってくれたじゃん」
「買い戻すの!」
「男だね!」

などと盛り上がっていて、なかなか買うことが出来ません。
後ろで見ていると、おつり30円、とかの世界で、だんだん、CDを大人買いしようとしている自分(とはいえたかが3枚)が恥ずかしくなってきました。

そうこうするうち、一段落して、店員さんが私に声をかけてくれて買ったんですが、2700円が、大金に見えましたね。なんせ、小学生が10人ぐらい見ている前で、5千円札とか出して、おつりも紙幣なんですから。

なんかなああ。

ちなみに、今日のお宝は、ザッパの"チャンガの復讐"、Celso Fonsecaの"Paradiso"、Willie Collonのファニア盤でした。

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2005年5月18日 (水)

茄子バラバラ。

空耳アワー。

donatonasu

Joao Donato / coisas tao simples
"Nasci Para Bailar"

このアルバムの5曲目、どう聞いても、

「ボケナス!茄子バラバラ。
 ボケナス!茄子バラバラ。」

と聞こえます。
しかも、サビの部分なので延々リピート。

タモリクラブなら、どんな映像をつけるのか、、、、、、。

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2005年5月16日 (月)

アホらし。

アホらし。もう家へ帰るもん。

Ray Barretto / Hard Hands
"ahora Si"


ahorasi


アルバムずっと盛り上がって、盛り上がった末、ちょいくつろいだ感じの最終曲。
「アホラ・シ」、というのは、スペイン語で「さあ!」「それ!」みたいな掛け声らしい。

サビのとこ、どう聞いても、「アホらし、もう家へ帰るもん。」に脳内変換されてしまうんですけど、バレットさん。

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2005年5月11日 (水)

1123の謎。

前々回、1123の謎、という謎のタイトルをつけたまま中断していた、リズムの話の再開です。


まず、3拍子の拍のそれぞれをあえて言葉にしてみます。

1拍目は「小節の始まりだから、頭を強くはっきり。拍の終わりにかけて少し弱くなっていく」、2拍目は、「1拍めの始まりを受けて、少し弱めで、全体を均等に、しっかり延ばして」。3拍目は「次の1拍目につなぐべく、最後に近づくと弱くなっていき、ちょっと短め」。

このへん、先生の言葉をじぶんなりに翻訳してしまったので、先生としては異論があるかも、です。

ちなみに、先生のカウントは、

 、    に~~い、    

こんなふうに聞こえます。

さて、そして4拍子ですが、先生は、4拍子とは、3拍子+1というふうに考えられる、といいます。そして、それは、「1,2,3,3」とカウントするのではなく、「1,1,2,3」とカウントするのだ、というのです。


4拍子のリズムを感じるとき、1233、とカウントすると、最後の二拍は等しく小さくなってしまいます。
1,1,2,3、だと、最後の3から気持ちよく次の1拍目に渡せるので気持ちいいんだとか。

しかし、これだと、一般的に言われる「強、弱、中、弱」という4拍のカウントとは違ってきますね。
そして、リズムのそれぞれの拍の長さも、かなり伸縮しますよね。


さて、てなことを考えながら、今日、このアルバムを聞きました。


music
Lunatic Harness / μ-ziq

ドラムンベースというジャンルでは大ヒットした超有名アルバムだそうです。
これを聞いていて、ドラムンベースのリズムには、リズムの伸び縮みの感覚が秘められているのではないかと思いました。

思い付きではありますが、ちょっと説明してみます。

ドラムンベースと言うのは、打ち込み機械が可能にした音楽の新しい形です。
32分音符、64分音符、128分音符など、細かいリズムで、たとえばドラムの音を連打するようにプログラミングします。すると、ドルルルル、と、ドリルの音のような、効果音のようなリズムが生まれます。
細かすぎるので、リズムでありながらリズムとは聞こえない瞬間もありますが、こうした「ドルルルル」という脅迫的なリズムと、妙に間のあいた「ダ、ンダ」というリズムが組み合わさって、有機的な流れを作り出します。わかりやすい繰り返しがなく、毎小節ごとに違うリズムが鳴ることも多いです。

打ち込みですからそれぞれの拍の長さはもちろん均一です。ところが、一拍の間の音符の数が多いほど、拍が長く感じられます。
上の例だと、”ドン タ” ゙は、しっかりド゙カカカ ドカカカとくるところは、若干リズム間隔が短くなるように聞こえるのです。もちろん、打ち込みだから、全くリズムの伸び縮みはないのに関わらず、です。
このリズムを研究していけば、ダンスミュージックで人が気持ちよいと思えるグルーヴは、ある程度定式化できるのではないかと思いました。

なんか、楽譜がないと判りにくいですよね、、、、。

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4の呪縛。

ポピュラーミュージックを聞いていると、4小節、8小節、12小節、16小節、32小節、、、という、4の倍数の小節を強く意識する癖が出来てきます。
ダンスミュージックでは、それぞれのつなぎ目の前後で、音数が増えたり、減ったり、フックがあったりしますし、ジャズだとソロの切れ目にもなります。こういう音楽を聴き続けるうち、その切れ目が近づくと強い終止感を感じるように、いわば教育されるわけです。

教育後には(笑)、音楽を聞いていると、「間もなく切れ目だ、きっと何か展開するぞ、するぞ、、、、展開した!!」と感じられるようになり、その期待感があるぶんだけ、展開を楽しむワクワク感が生まれるわけです。

なお、16小節目にめざましい展開がなかった場合、24小節目もあんまり展開しないんじゃないかという予測が出来ます。そして、その分32小節目の展開を期待する気持ちが高まってゆくと言う構造になっております。もちろん、次は64小節目が節目なのですが、この辺になるともう感覚的には数え切れないので、頭の隅っこでカウントしてたりします。「16小節の固まりが今3回来たから、次1の6小節の固まりが終わると、どでかい節目が来るな、、、」とかね。
ブルースも、そういうお約束音楽のところがあり、ワンコードで4小節来たから、きっと次はコードチェンジがあるだろう、なんて期待しながら聞いているわけです。それで、時々8小節までワンコードでひっぱるブルースがあったりすると、つんのめりながらもおもしろがる、とかね。


まあ、これはあくまで一般論。
もちろん、変拍子の曲を聞いたり、途中で数小節分「喰う」曲を聞いたりすることもあるわけです。極端な話、「キミガヨ」を聞いていて、小節による終止感なんて感じませんよね。そこは、頭のどっかでスイッチのオンオフが行われているはずです。
そういえば、ブルース。
一応12小節で一区切りという「定石」はありますが、特に古いソロ演奏のものを聞くと、喰っちゃう(本来あるべき小節を飛ばして演奏しちゃう)ことも多いんです。


ふーむ、これは、前回書いた、リズムの「訛り」とビミョーに関係あるようなないような話ですね。

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2005年5月 8日 (日)

クラシック訛り、または1123の謎。

今日もチェロに行ってきました。
今日からウェルナー教本開始。数ページ飛ばして、2拍子と4拍子の弾き分けが宿題になりました。

楽譜上は、スラーがついているかどうか、伴奏の拍子、で区別できるようにはなっています。が、先生から出たのは「2拍子と4拍子は全く別物。伴奏がなくても、スラーがなくても、明確に弾き分けられるようになろう」という課題。
今まで私は(打ち込みの機械をかじったことがあるためか)、2,4,8拍子の違いなんて、表記の仕方の違いぐらいにしか思ってきませんでした。シーケンサーという、いわば自動演奏マシンがあるのですが、これに楽譜を入力する時に、例えば2分音符を4分音符に、4分音符を8分音符に、、、と変換すれば、2拍子の演奏が4拍子の演奏にプログラムできてしまいます。

前回も書きましたが、先生によれば、欧米人には4拍子を均等に割るという感覚がなく、4拍目がだらん、と伸びてしまうので、そのリズム感の補正がたいへんなんだということでした。そして、逆に日本人は4泊それぞれをタイトにカウントしすぎ、のぺりとしたリズムになるので、そこに抑揚をつける練習をする必要がある、と。(もっとも、純邦楽の世界には、そもそもビートがなかったり、ビート自体が音楽の流れに即して伸縮したりということがあります。ということは、日本人のリズム感、というよりは、現代人のリズム感、なのかも知れません。)

さらに先生によれば、このリズム感のズレは「訛り」みたいなもので、ジャズ訛り、ラテン訛り、そして、クラシック訛りなど、様々なジャンルにそれぞれ訛りがあるということでした。実際、例えば先生がジャズの人と共演したとき、互いにリズムの訛りを感じたらしいです。
そういう意味では、私には2,4拍目を強く感じる「ロック訛り」や、実際に鳴っているビートの倍を意識しながら聞く「ファンク訛り」などがあるので、クラシックの演奏のタイム感をつかむのには苦労しそうですね。

あらら、長くなりましたので、続きは改めて。

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2005年5月 5日 (木)

コーエンの口琴。

Songs from a Room / Leonard Cohen
"Bird on the Wire"

cohenroom

私は、低い声が無条件に好きなようです。

マリアンヌ・フェイスフル、カサンドラ・ウィルソン、マット・ジョンソン("The The")、トム・ウエイツ、ドクター・ジョン、そしてレナード・コーエン。こうして名前を並べてみると、暗い、陰気なイメージの人が多く、(そして実際そうなのですが)、低い声を聞いていると落ち着くからかなあ。

中でもコーエンは別格に好き。

"Bird on the Wire(電線の鳥)"の一節に、

「木の杖にすがりついた浮浪者は「多くを求めすぎてはいけない」、と言った。
暗い部屋でドアにもたれた美しい女は「なぜもっと求めてくれないの」、と言った。」

というのがあります。

せっかく声をかけてくれる人にも自分を預けることが出来なくて、結局お互いに傷ついてしまう感じですね。恋人なんかにすると、どうしようもなくダメダメで、だけどダラダラ続いたりする不幸な関係が容易に想像されるようなこの感じが、ダウナーな気分にはぴったりなわけです。
トム・ウエイツのように、聞かせたい(甘えたい)相手がいるのとは違って、本当に本当に孤独な感じ。誰かといても孤独と言うか。
もっとも、こういうタイプがもてるんでしょう。「ほれたお前が悪いんだよ」、なんていくらでもひどいことをしちゃったりして。


コーエンは、詩人としてのほうがすばらしい、なんて評価も聞くけど、そして好きな詩もたくさんあるけど、(言葉の壁のせいで)理解できない詩や、共感できない詩もたくさんある。だから、彼を詩人としてどう評価していいのか、実は自分の中で決着がついていません。

すいません、いつにもまして話がそれまくってますが、ようやく「口琴」です。
竹や金属で出来た小さい楽器で、音程を奏でると言うよりは、「ビヨ~~ン、ビヨ~~~ン」という、なんか脱力系の効果音めいた音がするのですが、これが、このアルバムの中で、ビヨンビヨン鳴りまくっているんです。

このシリアスな気分のアルバムになぜ、と、最初は謎だったのですが、だんだん慣れてくると、バカボンド気分を盛り上げる効果音として、だんだん腑に落ちてきました。

そういえば、彼はカナダ出身なのですが、イヌイットの口琴との関係とか、掘り下げたら案外深い話なのかもしれませんね。

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2005年5月 3日 (火)

天国の雨

抵抗できない声、があります。
Rhapsody in ih ihe Twilight / 日向敏文
"Lluvia en el Paraiso"


hinata

 一時はトレンディードラマのサントラなどを手がけ、最近はあんまり名前を聞かなくなった日向敏文さん。「サラの犯罪」など、当時大好きでよく聞いていました。アコーディオンを多用した、フランスっぽい感じ。今で言うとコバさんとか、カレーマルシェのCMソングみたいな。ジャンルで言うと何なんでしょう。
 さて、このアルバムの宝は、何と言っても熊本マリさんが歌う「天国の雨」。ちょっとかすれた気だるい感じの歌声に魅了されて、他にアルバムがないか調べたんですが、経歴も含め、さっぱり判らなかったのを覚えています。ちなみに、作詞も熊本さん自身が手がけています。これは、スペイン語なんでしょうか???判らないけど、天国の雨、っていう題名とあいまって、抵抗できない吸引力があります。

熊本さん、いまやモンポワを弾くピアニストとしての方が有名になったみたいですが、またいつか、歌ってほしいなあと、切に思います。

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