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2005年7月

2005年7月30日 (土)

ビートルズと、出会っ、た。(ウルルン風)

ほんと、ビートルズを知りません。

手元には赤盤青盤のベストがあるんだけど、通して聞いた覚えなし。ビートルズ好きの友人には、「人生を損してる」とまで言われるんですけど、なぜか聞き返す気になれず、要は敬遠してきました。
理由は、、、、、
みんなが誉めるから?よくわかりません。


ところが、先日バーでこのアルバムを聞いて、ようやくビートルズ再発見の予感。ざらっとした感じの録音に、ジョンレノンのシャウトが気持ちいい。まるでチャド&ブレイクがプロデュースのよう。

もともと"Come Together"は好きだったんですが、アルバム全体よかった。
録音が好き。
買ってみます、アビーロード。


老後に向かって楽しみが増えた、かな?

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炒める音

「今日の料理」の音、ヘッドホンで聞いたことありますか?

お勧めは、スタジオ料理のときの炒め物の音。
よだれ出ます。

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2005年7月25日 (月)

二つのイノセンス

まぶしいほど純。

bluebrazil

Blue Brazil 2 "Tudo Que Voce Podia Ser"


"Tudo Que Voce Podia Ser"は、以前も"街角クラブ "Clube Da Esquina"でのRo Borgesバージョンで紹介しました。しつこいようですが、今回はQuartet Em Cyのカバーバージョンです。

Lo の原曲がイノセンス剥き出しの純な切なさを描いているとすれば、Em Cyの方は、そのイノセンスは失われるものだ、というあきらめを知らないと歌えない歌。
別な言い方をすれば、Em Cyの方は、やがて来る裏切りを知りながら信仰を捨てない殉教者のような。処女を失う時の決意のような、、、、、。なんか、痛々しくて美しい感じ。

、、、、、、このへんがもっときちんと言葉に出来る才能があるといいんですがねえ。

ちなみに、em cyは、メンバーが変わろうが、年をとろうが、どのアルバムもこんな気分にさせてくれます。

歌詞を全く知らないのにここまで書くというのは何だ、と自分をつっこみつつ、、、、今度、ポルトガル語に詳しい人に歌詞の意味を聞いてみようと思います。

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2005年7月23日 (土)

行間が大切

DJ話、続きます。

実際に見て感じたのが、それぞれの曲のクオリティよりも、曲と曲の変化の方が大切ということです。曲のクオリティだけでみると「これはハズレ」と一蹴してしまうような曲なのにすごくフロア映えしたり。逆に、好きな曲だし、ダンサンブルなのにどうも場の流れを壊してしまったり。
こういうのは、つなぎ、つまり曲の流れによるものみたいです。

初めての人のプレイを聞くとき、1曲目って大事ですよね。第一印象がその一曲で決まってしまうわけですから。でも、その印象をさらに絞り込むのは2曲目。
2曲並べて、その共通点が見えてくると、DJが今日どんな流れを作りたいのか見えてきます。

ドラムの音色なのか、フィリーソウルっぽいストリングスなのか、このテンポなのか、、、、DJの狙いは、3曲、4曲と進むほど、いよいよ見えてきておもしろくなります。

先日やった友人のプレイを聞いていてわかったことがあります。つなぎなどを特に考えずばらばらな曲が続きました。好きな曲をかけてるだけなのは判るのですが、でも、やっぱり、少なくとも2,3曲はかけないと流れが出来てこない。
私のDJの反省点も、実はこの「流れ」が出来ていないこと。やっぱり、2曲ぐらいでは「流れ」というのは出来ないし、気持ちよく踊るのは難しいんですよ。でも、客の顔を見て、あれ、乗ってないなと思うと、つい違う雰囲気の局をかけてしまい、流れがぶつぶつになってしまうんです。でも、客からすると、今日このDJは何をかけて躍らせてくれるのかわかんない、ということでかえって乗りが悪くなってしまうのです。

流れさえきちんとしてれば、ボーカルジャズでもかかる!と思って用意してきたのがこれ。
でも、受けるかどうかと思うとどきどきして、結局かけられなかった後悔の一枚です。

あ~あ、ボーカルジャズ4連発、やればよかった。

lhr

Everybody's Boppin' / Lambert , Hendricks & Ross "Everybody's Boppin'"

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CDをつまむ

昨夜は、友人がDJするのを近くでしげしげと見ていました。
彼は自分でターンテーブルを買い練習しているということで、曲のつなぎはパーフェクト。似た曲を数曲繋いだあとに、がつんと違う気分の曲に繋いだりするたびに歓声がわいていました。

さて、このプレイを見ていてふと思ったのですが、DJって曲の頭出しをするときに盤面に触ってくるくる回しますよね。あれ、私にはかなり抵抗があります。

なぜか。
レコードの盤面って触らないように教えられませんでした?私は、子供の頃の刷り込みがあるせいか、レコードもCDも、盤面に触るのが嫌なようなのです。

これは、レコードをどっかで、神聖なものと思っているせいかも知れません。

DJって、レコードはあるいみ自己表現の道具です。録音風景や、アーティストへの思い入れは(あってもいいけど)重要ではありません。
メロディの聞きやすさ、各楽器の音色、テンポ、エコーの深さ、などなど、が大切なのです。

ちなみに、私は先日はじめて知ったのですが、レコードのスピードも頻繁に変えます。これは、録音された音程から外れても、前にかかっている曲とテンポをおんなじにする方が大事だということです。ここには、曲としての神聖さとかが入り込む余地はあんまりありません。

DJをするというのは、サックスやキーボードを演奏するのと同じように、レコードを「演奏」しているということなんですね。


DJ話はけっこう書くことがありそうですが、もう遅いのでこのへんで。


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2005年7月22日 (金)

DJデビュー

仕事が追い込んだのと合わせ、友人の送別会でDJをするための準備で、結構大変でした。数人でやったので、ごく短い時間でしたが。
今週末も忙しそうなので、DJ報告はいつかまた。

最初にかけた曲はJB'S "Pass the Peas"。

男くさい、っていうよりは、ほとんど中学生っぽいノリの無駄話から始まって、すぐに重黒太のグルーヴへ。
トロンボーンの音色って、本当にファンキー!!
大定番だけど、前のDJの流れをばっさり切って、男の世界へ連れてってくれます、、、のはずだったのですが。私のDJデビューの反省はまた次回。

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2005年7月16日 (土)

ペレス=ゴルゴ13説。

以前、プリンスの"Someteimes It Snows In April"(四月に雪が降る)をご紹介しましたが、今度は4月どころではありません。真夏の雪です。

perez

セレソ・ローサ~ペレス・プラード・ベスト・セレクション「雪が降る」

オリジナル盤を探しているのですが見つからず。とりあえず、邦盤のベストアルバムからご紹介します。当然「マンボ№5」「タブー」(「ちょっとだけよ」、という邦題はいかがなものでしょう。)など代表曲が網羅されています。


マンボの王者、ペレス・プラードが、アダモや越路吹雪で有名な「雪が降る」を演奏したものです。雪も溶けそうな暑い演奏!楽器は、チープなオルガン、シングルトーンギターなど、相当安っぽい音も使ったアレンジなのですが、逆にそれもかっこいい。そして、音も割れんばかり(っていうか結構割れてるけど)、きっちり鳴りきっているラッパっていいですね。


ペレスプラードの演奏を聞いていて思うのは、バンドのメンバーの血管が切れそうなテンションの高さです。この「雪が降る」でも、トランペットなんて力みすぎてハイノートが思いっきりシャープしています。でも、この力み方がいい!俺の見せ場はここだぜ!とばかりに、他のメンバーを押しのけて前に出て行く感じが、ワルっぽくて最高です。
でも、このテンションの高さとはうらはらに、リズムは決して走らない。これが実にマッチョな感じなのです。マッチョといっても、いろいろあります。やたら暴力的だったり、筋肉を誇示したり。
でも、この曲の「マッチョさ」は、熱狂的な演奏を続けながら、自分の興奮に溺れず、ひたすらテンポを変えずに続けてゆくことで男らしさを見せる、というところにあるような気がします。つまり、自分の演奏で熱狂する観客をハスに見ながら、「俺は感情に溺れたりなんてしないんだぜ」ってなたぐいの見栄の張り方ですね。
Hな比喩で恐縮ですが、ゴルゴ13のセックスみたい。
でも、どっちみち見栄を張っているわけで、それをかっこいい(でも「可愛い」でも)と思えればいいんです。

今回はネタとしての意味も含めて「雪が降る」を取り上げましたが、このベスト盤、どの曲もあの「ウッ」という掛け声が入っていて、かわいいペレスを堪能できます。「コンドルは飛んでゆく」、「メロンの気持ち」、など、あの曲がマンボに!っていう楽しみのたっぷりな一枚です。

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2005年7月13日 (水)

ここではないどこか

今日は、連想ゲームのような展開です。

前回書いた「バグダッド・カフェ」。舞台となったのは、アメリカの開拓時代を支えた歴史的道路、ルート66沿いのレストラン&モーテルです。

ここの連想から、サム・シェパードの本「モーテル・クロニクルズ」へ。

サム・シェパードは「パリ・テキサス」の脚本も書いているのですが、その「パリ・テキサス」は、以前紹介した「パラダイス&ランチ」のライ・クーダーがサウンドトラックを担当しました。

というわけで、サントラ「パリ・テキサス」。

"Paris,Texas / Ry Cooder"

paristexas

再び、ライクーダー登場、です。
スライドのインすと中心のアルバムの中で、唯一のボーカル曲の”Cancion Mixteca”。
この曲は、映画ではひたすら無口だったハリー・ディーン・スタントンがすてきな喉を披露しています。メキシコの歌。イントロがやたら長いので、インストかと思っていると、いきなり高い声で歌いだすので、びっくりしないでくださいね。映画では無口な彼が、こんなに歌がうまかったという不思議。

メキシコとの国境に近い町の、じりじりする暑さの中で、野球帽を被ってひたすら線路を歩く男。ここで、ライのスライドが聞こえてきます。弦のノイズまでが、孤独。

確か、映画の冒頭、彼はカフェに入ってきて、一言も口をきかず、倒れるのではなかったかな。そして、病院で目覚めてようやく語った一言が「パリ、テキサス」。、、、脳内変換されている可能性がありますので、話半分に聞いていて下さい。

バグダット・カフェと同じ、きれいな空と荒涼とした風景が印象に残る映画でした。

でも、バグダッドカフェが、荒涼とした風景を背景につつましく生きる人たちを描いた希望の映画だとすると、「パリ・テキサス」は、荒涼とした風景のなかで、誰かを求めながらも、断念してしまうあきらめの映画。

パリ・テキサスでは、自然だけが荒涼としているのではなく、描かれる都市のコインランドリーや、覗き部屋など、全ての風景が荒涼としていて、孤独なのです。

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2005年7月12日 (火)

「待つ」音楽

映画バグダッド・カフェのテーマソング。
"Here It Is / Jevetta Steels" Calling You

callinyou

トミー・リピウマの総合プロデュースのもと、いろんなひとがそれぞれの曲をプロデュスしていて(プリンスも2曲やっている)若干ばらつきがあります。頭から6曲目までの流れが好きです。この前半は基本的に和み系で、声量豊かな歌手がちょい抑え目に、美しいメロディーを美しく歌うという、私好みの線です。
ただ、時代が90年前後なので、音色がちょっと古い感じがします。特に、スネアとか、シンセ。もうちょっと「寝かす」とまた違うのでしょうが、今が一番古臭く感じるタイミングなのかもしれませんね。

歌は、映画「バグダッド・カフェ」そのままに、ラスヴェガスに通じる道ぞいにたつ、砂漠のカフェが舞台です。コーヒーマシンが壊れているという、それでもカフェかよ、というお店。

「赤ん坊が泣いていて私は眠れない」という歌詞があるので、想像するに、子供を連れたシングルマザーが、カフェで働きながらいつか来る幸せを待っている歌ではないかと思います。
(そういう小説って、この間も読んだなあ。なんというタイトルだっけ??)

「この暮らしが変わる予感がする。
 甘美な解放の時が近づいてきているの」
という夢を抱きつつ、眠れない夜を重ねているのでしょう。

でも、それが不思議に絶望とか、かなわぬ夢という気がしない。余りにも強く夢見ているせいで。


映画「バグダッド・カフェ」も好きでした。ポスターなどからも片鱗はうかがえますが、色彩感覚が独特です。特に大きな事件が起こるわけではないのに、忘れられない映画なのです。まさにこの曲のように、緩やかに美しい映画。
舞台は砂漠のまんなかの古びたカフェで、荒涼とした風景のはずなのに、どこか懐かしく、暖かい。


私が勝手に名づけた分類で、「待つ映画」というのがあります。登場人物たちが何かをひたすら待つ、そのひっそりとしたつつましさを丁寧に描いた作品です。

実は「となりのトトロ」も不在のお母さんを待つ物語です。普段はお母さんを待っていることは、あまり口に出さないけれども、いつでも痛烈に不在は気になっていて、お母さんとの出会いに向かってドラマは進んでいきます。
そういえば、退院するはずだったお母さんが帰れなくなって、夏の暑い日、さつきが畳の部屋で一人ふて寝するシーンがあるんですが、見ていてつらくなるような、痛くて素敵なシーンでした。
「ああ、子供の頃、こんなふうにふて寝したなあ」なんて思い出したりして。


「バグダット・カフェ」でも、そうした、「待つ」たたずまいが、せつなく、いとおしく感じられるのです。


実は、このバグダッドカフェ、実在します。ルート66という、かつては西部開拓の基幹道路だった道ぞい、カリフォルニアのモハービ砂漠(Mojabe Desert)にあり、以前は"Sidewinder Cafe"という名前でした。ネットで調べてみたら、今はその名も「バグダッド・カフェ」。ツアーの休憩地点になったりして、けっこう有名になっている模様。ルート66ぞいの景色は、味のあるガソリンスタンドやモーテルがたくさんあって、アメリカの原風景という感じでとてもいいです。たしか、ルート66をテーマにした写真集もあったはず。

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2005年7月11日 (月)

変なポジション

またまた、チェロの練習に行きました。ここで習ったのが「変なポジション」。

、、、、いや、本当に先生は「変なポジション」って呼んでいるんですよ。

具体的には、第4ポジションの位置に親指を置いて、人差し指を離し、残りの指を全て半音ずつ低く置く、というポジションです。つまり、通常の第4ポジションの親指と人差し指の関係を、親指と中指に変えることになります。
で、時々、広いポジション的に人差し指を使うのですが、他のポジションと違い、あくまで基本となるのは中指と親指の位置関係ということなのですが、特に名前がないらしく、名づけて「変なポジション」というわけです。
先生によれば、手が小さい人にとっては、第4ポジションよりずっと使いでがあるそうです。

日本では、先生(たぶん30代後半?)のちょっと下の世代から、だんだんこの「変なポジション」を使う奏者が増えてきて、今では、若い奏者なら普通に使っているのだとか。
先生自身は、誰かに習ったとかではなく、自分でなんとなく思いついてやっていたそうなのですが、まさか他の人もこのポジションを使うとか、ここまで浸透するとはおもっていなかったらしいです。そういえば、ヨー・ヨー・マも使っているって先生は言ってました。(このポジションは先生が思いついた、という話ではありませんので、念のため。)

チェロ奏法は、カザルス以来、日進月歩で進歩しているそうです。
それまでは、乱暴に言えば、カンで押さえ、耳で微修正する、というのを繰り返すのがチェロだったらしいのですが、カザルスが、ポジションの使い分けなど、理論的な弾きかたの端緒を開いたのだそうです。以来、奏法理論を開発すれば上手く引けるということになって、様々な奏法が開発されてきた、ということらしいです。カザルスって、凄い人だったんですね。

でも、たしかに、チェロって荒馬みたいなところがあります。そういう理論でもないと、天才以外には乗りこなせませんからね。

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縁起でもない。(南へ 4)

国境の南はメキシコ。


"Paradise and Lunch / Ry Cooder" Mexican Divorce

pl
というわけで、お次はライクーダーのアルバム、パラダイス&ランチの「Mexican Divorce(メキシコ風離婚)」。邦題はなぜか「恋するメキシカン」です。「メキシコでは、今日結婚して明日はさよなら.。でも、メキシコ風離婚は罪だぜ」ってな歌詞で、確か、別れてしまった彼女を恋しがる歌だったような気がする。木琴がいい感じにトロピカル。なんと、バート・バカラックの曲です。

昔のハードボイルドを読んでると、犯罪者がメキシコに逃げたり、メキシコで結婚する、なんて台詞が出てきたりと、アメリカから見れば自由の国、無法の国、ってイメージがあったんでしょうね。(あくまでアメリカ人から見て、ってことです。本当にメキシコでは簡単に離婚できるのかは知りませんよ!)

これ、アルバムごとぼーっと聞くのにはとてもいい、のんびりゆったり気分のアルバムなのですが、なぜかこういう悲しい歌が多いので(炭鉱で閉じ込められ、湧き水を必死でかい出す歌とか、「結婚したらおしまいさ」なんて曲まである)、結婚する人とか、誕生日の人なんかにあげにくいんだよなあ。

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カラオケおやじの唄(南へ 3)

"South of the Border / Chalie Parker"
parker

南の音、 第三弾は、チャーリー・パーカー「国境の南」です。そのまんま。だけど、なぜか、「国境の南」という曲はやっていません。

ティコティコとか、実に楽しそうに演奏しています。

こういう幸せなパーカーを聞くと、いつも連想するのが、カラオケ好きで声がでかいオヤジ。でかい声が出ることが楽しくて楽しくて仕方がないという感じで、歌っている人っていますよね。こっちも見ていて、(うるさいんだけど)つい笑ってしまう。
これは、ナルシスティックに自分の歌に酔ってるというのとも違うんです。そうじゃなくて、たとえば話し始めの子供が、アウアウ、アウアウ、と、ずっと飽きずに声を出して遊ぶことがありますよね。ああいう、喉が震えて声が出る、ってことの、ものすごく素朴な喜びに浸っているように思えます。


私が持っているCDは、10インチの収録曲を再現した紙ジャケ仕様なので、なんと20分強、8曲しか収録されていません。紙ジャケが嫌いなせいもあり(大きさが違うので収納しにくいこと この上なし、CDを出すのも面倒だから結局聞かなくなっちゃうんですよね)、最初は損した気分でした。
が、20分ちょっとの尺って、集中して聞くにはじつにいい!
気がつくと終わってて、ついついリピート、って感じで聞いてしまいます。3曲で20分、なんてCDシングルもありますが、そういうのとも違って、次から次へと曲が変わっていくのがうきうき感を盛り上げます。
CDで、ボーナストラック入り70分とかだと、私の集中力を超えてしまっていて、ほとんど最後まで聞けたためしがありません。しょうがないので、半分ぐらい(なんとなくA面ぐらい)で聞きやめ、また別な日に残りを聞いたりします。飽きっぽい私も悪いんですが、そういう意味では、CD二十数分って言うのは、画期的なフォーマットなのかも!!

中のラ・ククラチャを聞くと、小学校のとき紙で作ったソンブレロを被って講堂で踊ったことが思い出されます。
なんで「ゴキブリ」がこんな楽しい曲なのか、謎だなあ。

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2005年7月10日 (日)

ゼリーのような空気(南へ 2)

松谷みよ子に、「ふたりのイーダ」という小説があります。広島の原爆をテーマにした子供向けのファンタジーなのですが、小学生の主人公の心の描き方が秀逸で、とても好きな作品です。

幼稚園の妹がいなくなって、小学校低学年ぐらい(かなあ)の主人公が心乱れて妹を探しに出かけるのですが、このとき、男の子は「空気がゼリーになっているんだ」と思います。そして、そのあと、歩き、話す椅子と出会うことになります。

この感覚、まさに、これ。

"Brilliant Corners / Thelonious Monk" Panonica

monkcorner


チェレスタを使った気だるい、濃厚な感じ。

カポーティの「遠い声、遠い部屋」も思い出すなあ。あの小説も、舞台は「ヌーンシティ」という、架空の南部の町でした。
ここで、父親を探しに来た少年が、変わった二人の姉妹や、ひきこもりのおじさん、身勝手にやさしいおばさん、黒人のおじいさん(その名もジーザス・フィーバー!)その娘で、喉にナイフで切られた傷がある黒人のメイドなどと出会うという、奇妙な小説でした。そういえば、黒人のお爺さんと娘が踊り狂う描写があるのですが、ここで演奏される音楽がなにやらブルースの原型らしいんですよね。カフカみたいな寒い国の物語とはまた違った、アメリカ南部の不条理小説です。

それはさておき。
うだるような暑さの中で、体を動かすのも気だるい夕方、歩いているとボーっとなって、不安で不安で、それが奇妙に心地よくもあって、いくらでも歩き続けられそうな奇妙な気分が、モンクの「パノニカ」を聞いているとよみがえります。

そういえば、小学校の頃、夏休みで学校のプールで死ぬほど泳いで、唇なんか紫になりながら、フェンスにかけてあったバスタオルをまとうと、暖かさで気が遠くなるみたいだったけど、そういう気分とも似ています。


吉本隆明の言葉で、「入眠幻覚」というのがあります。
「遠野物語」という、遠野地方の民話を柳田國男が集めた本の中のエピソードで、「とても餓えた木こりの一家があった。夕方、ものすごく美しい夕焼けの中で、朦朧としていると、逆光の中で自分の子供が薪に頭をおいて、「お父さん、どうぞ私の首を切ってください」、と言ったので、思わず持っていた斧で首を落としてしまった」というちょっとこわい話があります。入眠幻覚とは、そのときの木こりの心理。理屈ではなく、感覚だけが剥き出しになったような気分を言い表すのに使った言葉です。


小学生のころの、世界のぼんやりとした見え方を思い出させてくれる曲、です。胸が切なくなります。


「イーダ」も、「共同幻想論」も読み返さずに書いてしまいました。なんか、重大な覚え違いをしている予感もありますが、気がついたら直そう。今日はとりあえず、これにて。

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2005年7月 9日 (土)

南へ。

高校時代、友人が、ケイト・ブッシュの「天使と小悪魔」と一緒に貸してくれた一枚です。今考えても凄い組み合わせですが。

bonvoyageco


泰安洋行/細野晴臣

すごく”南”を感じるアルバムです。ニューオリンズとか、、、、。

当時、私が持っているアルバムはわずか数枚。たしか、矢野顕子とか、1500円ぐらいだった"Oscar Peterson Trio / Travelin' On"とかだったなあ。ダビングしたテープもたぶん20本以下。そういう程度の知識ですから、いろいろなジャンルがごった煮になったアルバムということは知識として知っていても、いざ、どんなジャンルに位置付けられるのか、と具体的なことになると、もう全く判らなかった。
ルーチューって?ガンボって?「おっちゃんのリズム」って???こういう音楽、もっと聞きたいなと思っても、教えてくれそうな人もいないし、どう調べればいいのかもわからない。

それでも、気に入ってこれを毎日浴びるように聞いていたわけで、こういう出会いが今の音楽的好みの根っこにあるんですね。
全曲好きなんですが、今日の気分は"Chow Chow Dog"。いかにもゴスペル的な掛け合い("What's Goes 'Round,What's Come 'round")が印象的な「仏教ゴスペル」です。

「夜明け前にはこの世ともおさらば」なのに、眠り呆ける犬の歌。
「般若波羅蜜(般若心経)、唱えれば心はニルヴァーナよ」ってことは、この犬は死んじゃうってことですね。
歌詞には救いがないのに、不思議に開放的な曲です。

後日、中華街ライブのビデオを見る機会がありました。細野さんの前歯が欠けていたのを強烈に覚えています。
細野さんのボックスセットの解説を読んでいたら、このライブには若き景山民夫が噛んでいたんですね。強引ながら、そう思うとこの歌、ちょっと死の香りがしませんか?

沖縄の伝説に登場する「南波照間」は、波照間島よりさらに南にある(はずの)理想の島を目指して旅立つ人々が登場します。「ここではないどこか」の楽園も、南にあったんですね。

細野さんの音楽の旅はこのころ南に向いていたようだし、・・・・・・なんか、そう思うと、細野さんのアルバムって、常に深いところで死に繋がってる感じがして怖い。でも、そこが究極の魅力なのかもしれません。

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2005年7月 6日 (水)

タカ テケ タカ テケ。

india

"インド古典パーカッション-超絶のリズム"
ザキール・フセイン、という名前もシャープなタブラ奏者がこのCDの主役。中でも聞き所は最後、5曲目の「タブラ・デモンストレーション」。ザキールが実際にタブラを鳴らしながら、英語で解説をしてゆくという趣向です。

タブラっていうのは二つのタイコで、小さい方は叩く場所やミュートのしかたで、5つの音が出る。大きい方は、2つの音色なんだけど、手のひらで打面を押さえながら打ち、打った瞬間に押さえる強さを変えることでドゥウ、と音程をつけられるそうな。で、それぞれの音には「タカ」とか「テケ」とかの名前がついていて、パターンを「ティダ・タカ・テケ・ティダ」のように言葉でも表現できる、と。多分伝統的なパターンが山ほどあるのでしょう。
ほんとに、二つのタイコを一人が叩いているだけとは思えない、ものすごく多様なパーカッションが堪能できます。

で、ここからがお立会い。

タカテケタカテケ、と口で言ってから、実際にそれをタブラで叩く、というデモンストレーションを繰り返すうち、ザキールさんはノリノリ状態に!!どんどん難しいパターンが出てきて、早口言葉大会スタート。しまいには、凄い早口でパターンを言いながらタブラを叩くという、ほとんど神がかったプレイ!!!凄すぎて脱力します。
最後は、タブラで馬が走る音、大砲の音、などを再現して終わります。ほんとに、二つのタイコを一人が叩いているだけとは思えない、ものすごく多様なパーカッションが堪能できます。

(大砲の音ってのが、ゆっくりドン、ドンと鳴らす前段があって、そのあとドッカーンとくるのですが、あれはベルトコンベアに乗って弾丸が運ばれている音??あれだけは謎だ。)

このCD、壮絶というか凄絶というか、人智を超えたというか、ともかくものすごいインパクトです。これで2000円は安い。

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洗濯日和

たまりにたまった洗濯物を一掃。

cds

引越しで一時レンタル倉庫に入れてたら、結構CDがカビてしまってました。
一枚一枚洗うのも何なので、まとめておいて一気に中性洗剤で洗いました。結構きれいになりますよ。

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2005年7月 3日 (日)

初夏の。

10年ぶりに料理をしてみました。
ラタトゥーユ。

ラタトゥーユって何を入れるんだっけというところから始まって、あとは聞いたり調べたりしながらなんとか完成へ。今、フライパンの中でゆっくりと冷えているところです。
料理って好きだったなあ、と、確認。

完成をイメージしながら大きさを切りそろえるとか、火の通り方をイメージしてフライパンに入れる順番を考えるとか、、、けっこう頭使うんですね、料理って。

今日、参考書のひとつだったのか、「イタリアン精進レシピ2」という本。野菜を加熱するとき、最初から油を使わず、焦げ目がついてから、味を引き締めるためにエクストラバージンオイルを使う、というワンポイントなのですが、とても参考になりました。おかげで、料理したそれぞれの野菜には、ほんのり焦げ目がついて、これが美味しい原因かも。
ちなみに、この本にはラタトゥーユの作り方は載ってません。
料理の本と、ネットの4,5件の検索から、適当に作りました。

CIMG0998
で、作り方。
① 茄子2本、ズッキーニ1本をぶつ切りにし、フライパンに油をしかずに強火で炒める。

A 炒めながら、たまねぎ2個をさいのめに、ニンニクをみじん切りに切る。

②茄子とズッキーニに焦げ目がついたらバージンオイルをちょっと絡ませて、ボールにあげる。
③フライパンにオリーブオイルを入れて、熱くなってきたらにんにくを弱火で炒める。
④ニンニクが茶色くなったころに強火にして豚バラを入れ、こげめがついたところで玉ねぎを入れてキツネ色まで炒める。

B この間にピーマンを乱切りに。さやえんどうを4センチほどの長さにそろえる。

⑤ニンニク、豚肉、玉ねぎを先ほどのボールにまたあける。
⑥さやえんどうをフライパンに油をしかずに炒める。

C お湯をわかし、トマト2個を湯につけて湯剥きの準備。

⑦焦げ目がついた頃、生のピーマンと、ボールの中身をみんなフライパンにあける。
⑧トマトをフライパンの上で皮むき(汁がたれるので)し、手のひらの上でトマトをさいの目に切り、どんどんフライパンに入れる。
⑨10分ほど煮ながら、塩を入れて味を調える。

D 生のバジルをとってきて、洗って1センチ幅に切る。

⑩バジルをフライパンに入れ、オリーブオイルを回しがけて、一煮立ち。
⑪冷めたら出来上がり。
(あったかいままでも美味しいです)

ちなみに、①~⑪は火を使う作業、A~Dは、まな板周辺の作業です。

というわけで、いただきまーす。

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2005年7月 2日 (土)

神話作用

むかーし、高い服をドキドキして買ったことがあります。

初めて買うときは、「この服はユニクロの10倍の値段だから、ユニクロの10倍の価値がある・・・・」なんて思って、エイっ!と買ったりします。(当時はユニクロなんてなかったのですが、まあたとえです、たとえ。)

でも、あるときふと、思う。「このシャツ、3万もしたのに、やっぱり首筋が黄ばむじゃないの。」「このジャケの食べこぼし、洗っても消えないじゃないの。」

・・・・おいおい、何をかんちがいしてんだよ。なんて、昔の自分に突っ込みたくなります。

汚れにくい素材だから高い、っていうこともあるでしょうが、いわゆるブランド物の高価さって、そういう価値観とは必ずしも一致しません。超細番手の糸で織り上げた生地は破れやすいかもしれない。新素材で作ったジャケットは、洗えないかもしれない。前人未到の新パターンの開発にやたら時間がかかって、結果として高くなってしまったかもしれないんです。

自分はとんでもなく貴重な服を着てる!!って気持ちで頭が一杯になっていると、この服は汚れないんじゃないか、流行おくれにならないんじゃないか、みんながすごいと思ってくれるんじゃないか、と、勘違いをしがちです。服を神格化して、ブランドを神格化して、やがてそのブランドを選んだ自分も神格化して。。。。いや、本当に、気をつけないとかなりかっこ悪いです。自戒を込めてます。


でも、そういう「神格化」って、舞台裏への想像力があれば、少しは防げると思います。
たとえば、なぜ、こんな変わったパターンを起こしたのか、という糸口から、「新しい素材の伸縮性とパターンの関係」「複雑な縫製によるコスト増」、果ては「デザイナーとパタンナーの確執」まで、舞台裏を想像することができないかなあ、と思うわけです。別の素材でも別の縫製でもありえたのに、なぜここに落ち着いたのかを考えること。

もちろん消極的な理由もあるでしょう。「納期もあるし仕方ないか」という後ろ向きの妥協などです。
でも、厳しい条件の中でぎりぎりに詰めてゆくことで、かえってすごい答えが生まれてくる、こともあります。

で、この服の裏にどういうストーリーが秘められているのか、という舞台裏を知りたいから、パターンの教科書をめくってみたり、服地屋さんを覗いてみたりしてみる。そうするうちに、改めてその服の凄さが立ち上がってくることが、あるんです。

pssessions

"The Beach Boys / The Pet Sounds Sessions "

ずいぶん枕が重くなりましたが、ペット サウンズ セッションズ。
「ペット サウンズ」という、いわゆる歴史的名盤を、様々なアウトテイクや断片、カラオケのみ、アカペラなどで微分して見せた怪作です。

音楽業界では、「完パケ」(完全+パッケージ=もう修正する必要がない完成品)という言い方があります。録音、ミックスダウンなど、様々な工程を経て、商品として売られる段階に仕上げること、です。

(あれれ、書いてて不安になってきました。完パケって、マスタリングまで終えたものを言うのかな?ギョーカイ人ではないので、まちがってても許してください)

ともかく。アーティストは、「これで完パケにするっ!」と決断する一瞬があり、その一瞬を越えると、もういかなる微修正も効かない状態になってしまうわけです。で、さっき書いた「神格化」って、この「完パケ」に至るまでを、ものすごい神がかったものとして考えるから起こってしまうことなんではないかなと、思うわけです。神様のようなアーティストが、全く迷うことなく、録音し、ミックスダウンし、完璧なものを完成させるという誤解。だから、この中には、ブレのないアーティストの思いが100%きっちりつまっている、という、幸せな誤解。

でも、ある部分にどの楽器を使うのか、逆に無音にして隙間を見せるのか。また、ペットサウンズで言えば、このAメロにどのBメロをつなぐのかも含めて、やってみないと見えてこないことはあります。

迷って迷って、いくつかの答えが出てくる。時には「これしかないぜ!!」という答えも出てくる。だけど、「こっちも正解、こっちも正解。で、どっちを「完パケ」とする?」という、迷いも山盛り。レコードって、そういう迷いを一つ一つ解決したり、「えいっ、とりあえずこっち!」と決断しながら生み出されるものだと思うんです。

あるCDの音が、「こうでないこともありえた」「でもなぜかこうなっている」ということに思いを馳せること。
それは、その音楽の完璧さをバカにすることでは決してない。むしろ、こんなに沢山の「正解」の中から、この「正解」を選んだ、その美しい決意に感動することです。


そういう意味でいくと、リミックスというのは、完成に向かうアーティストの迷いにまで思いをはせ、「もう一つの正解」を導き出す、という行為なのかもしれませんね。

「完膚なきまでにぶち壊す」、とか、「音は素材としてしか見ない」、というリミックスもあるんでしょうが。


ここで余談。

カーステで、"Would'nt It Be Nice"アカペラ版をかけていた時のこと。家族が、ぽつんと、「クリスマスみたいね。」
さらに、「これ、ミスドで聞いたことがあるかも」と(涙)。

こっちは、最初のドラムが鳴って歌が始まる瞬間、ウルウルしているというのに!

わかってくれなくても、別に、いーんだっ。


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静かな音楽。

最近生きつけになりつつある、とあるバー。
ここの照明が異常に暗い。

うすぐらい電球一個、しかも(たぶん)調光機を通してあるので、店に入ってしばらくは、ほとんど真っ暗同然です。目が慣れてくると、だんだん部屋の隅まで見えてくるんですが。そして、かかる音楽は、中世の宗教音楽や、現代音楽、インドのシタールなど民俗音楽。

「おいおい、それで営業できるの」と思ったあなた、正しいです。お客さんがいるのをあんまり見たことがない。

でも、ここで聞く静かな音楽、ほんとうにいいんです。
先日書いた、「南佳孝のボサノバ」、実はここで聞いたのですが、これでおわかりのように、必ずしも暗い音楽だけをかけているわけではないのです。ただ、一貫しているのは、「音数が少ない音楽」ということ。それぞれの楽器が別々に聞きとれるぐらいの小編成が多い。これを、ウイスキーなど飲みながらじーっと聞いていると、もう、聞くことに一所懸命になってしまいます。

集中して音を聞くこと、聞き分けることの楽しさというんでしょうか。
たとえば、ジャズ。
演奏では、数人の人がそれぞれの思惑で別々に弾きながらも、ある瞬間は別の演奏者の音に触発され、共振します。プレイヤーそれぞれの気持ちをなぞりながら、同時に聞こうとすると、ものすごいことになります。それこそ聖徳太子状態で、一曲を聴くだけでも大変です。でも、そういうふうに頭をつかうことは普段ないので、ものすごく気持ちいいのです。普段使わない筋肉をストレッチするようなものでしょうか。

さてさて、このちょっとへんくつだけど愛すべきマスターに、一枚CDを教えてあげるとしたら何だろう、と昨日ずっと考えていたのですが、これかなあ。

"dead can dance / Toward the Within"

towardthewithin

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2005年7月 1日 (金)

痛みを言葉にするノウハウ。

先日腰が痛くて病院に行ったのですが、その傷みがなんとも言葉にしづらい感じのものでした。
苦しくてうめいてしまうほど辛いんですが、いわゆる腰痛の痛みとは全然違って、動ける。階段を上がったり下りたり、よこになったりとじたばたして苦しんでいました。

1,2時間で痛みの峠は過ぎて。

病院の先生が「どんな痛みですか?」
「上手くいえないんです」
「じっとしていられないくらいの痛みですか?身動きできないほどの痛みですか?」

両方、痛みの極限をあらわしているのに、一方は動けない痛み、一方はつい動いてしまう痛み。

まさに的確。言いえて妙。
さすが、プロ、と思いました。

ちなみに、病名は腎臓結石。命に別状がないということでひと安心。

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三月の水

ひさしぶりに引っ張り出して聞いています。
”Joa~o Gilberto / 3月の水”

joao

ジョアンは、お風呂にこもって、ボサノバを発明したそうです。お風呂場のエコーで遊ぶ子供みたい。
2ビートのベースラインに、裏打ちのリズムでからむコード。ギター一本でものすごいスイング感を生み出してしまう、ジョアン マジック。
そして、最初に披露したのは姉の赤ちゃん。もちろん、アコギ一本、マイクなしでしょう。


で、たぶん、ボサノバの大衆化は高性能マイクがなければなかったと思います。

あの鼻に抜けるささやき声を、口が開くときにわずかに鳴る音を、そして、切り裂くような(でもものすごく小さな)パ音を。ようするに全ての音が聞き逃せないジョアンの音楽を、コンサート会場で/レコードで楽しむには、ハイファイマイクが必要だったのです。

映画草創期のころ。顔をおもいっきり白塗りにして、照明もがんがんにあてて、ようやく映画として見られるだけの明るさで撮影できた、というエピソードを思い出しました。その役者さんのメイク、生で見たらびっくり!見られなかったでしょうね。
そういえば、歌舞伎のメイクがどぎついのも、昔はローソクや天窓から明かりを取っていたからなのかな??

いよいよ話が脱線してしまいました。無理やり戻して、と。
「客に見えない・聞こえないんじゃダメだ」っていうんで、必要に迫られて生まれた技術も侮れないのではありますが。ジョアンが天才だって思うのは、そういう理屈を飛び越えて、「小声だからいいんだもん」「小声じゃなきゃやんないもん」とつっぱりとおした気迫のすごさですね。


改めて聞いていても、パ行の音のリズムの切り込みの鋭さにはどきりとします。本当にタイトなリズムで発音してるんですよね、ジョアンは。

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