« 2005年8月 | トップページ | 2005年10月 »

2005年9月

2005年9月23日 (金)

あくび一回5千円。(困笑)

きのう、あくびをしたら、あごが外れました。


こんな感じです。

あーーあ、、、、、、、、(あくび)。

、、、ふふぃふぁふぉひふぁい、はふ、、(口が閉じない!はふ。)

、、、、、、、
ちょっとでも痛ければもっと悲壮感とかあると思うんですが、全く痛くないんです。
口が3センチほど開いたまま閉じないので、よだれは止まらないし、しかも、まさに仕事のヤマが始まろうというタイミングだったので、困りました。

同僚が、ごく普通の感じで話し掛けてきます。
「これ、どうしようか」

あわてて、近くの紙に走り書き。

「あごが外れた」

同僚は、「ははははっは」。

いや、冗談じゃなくてホントナンダヨ。
また、走り書き。


「いや、マジで。」

同僚は、驚いて、「えっ?」

で、走り書き。

「全然痛くない。大丈夫。
しゃべれないから病院の予約とって」

というわけで、病院に行きました。
あごが外れたということを伝えるのに、いろいろ筆談があった挙句、入りもしないレントゲンも要らないと言えず、結局先生に会うまで1時間ぐらいは外れたままだったかなあ。

先生は一目見て、

あー。

と言って、すぐにはめてくれました。わずか30秒ほどの早業でした。
でもレントゲンなど撮ったためか、4700円も請求されてしまった。

えらく高くついたあくびでした。

疲れるとあごが外れやすい体質らしく、私はこれが2度目。
以前は、へとへとの状態でプールで泳いでいて、クロールの息継ぎをしたとたんに「ガク」。

このときも、プールの監視のお姉さんに筆談したり、挙句の果てはスポーツクラブの館内放送で医者を呼んだりと(このとき、たまたま泳いでいた人の中に形成外科(?)の先生がいて、ただで直してくれました)大騒ぎだったことを思い出した。

前回も思ったけど、少しでも痛ければ、こんなにオマヌケな気分にはならないだろうな。
ひたすら、恥ずかしい1時間でした。


| | コメント (1) | トラックバック (0)

2005年9月17日 (土)

「おっちゃんのリズム」

以前、細野晴臣さんの「泰安洋行」について書きました。
『泰安洋行』

そのとき、PomPom蒸気」という曲の歌詞に出てくる「おっちゃんのリズムでスイスイ ひびけば夜風にハーバーライト」というのの、「おっちゃんのリズム」という言葉がナゾだ、という話をしたのですが、、、、、、わかりました!!

この本のおかげです。
『エンドレス・トーキング』細野晴臣

実は、この本、92年発行。
私は3,4日前に図書館で見つけて、「これはもう売ってないよなあ」と思いながら読んでいました。

で、アマゾンを調べてみて驚愕。
なんたる偶然の一致か、平凡社新書で今月再発行されてました!!
さすが細野さん、こういう偶然を呼び込む何かがあるみたいですね。

いずれにしても、買って損はさせませんよ。
音楽王・細野晴臣の、驚きの音楽遍歴が明らかにされてゆきます。

ちなみに、聞き手は北中正和さん。
2,3日前に書いた、私とオホス・デ・ブルッホとの出会いのきっかけとなったラジオをやっていたかたです。
肩書きは音楽評論家だったんですね。
ワールド・ミュージック専門かと思っていたのですが、ロック全般に無茶苦茶詳しい人でした。


さて、話は戻って、おっちゃんのリズムとは何か。

「泰安洋行」の前のソロアルバム、「トロピカルダンディー」の頃。
フィフティーズやその時代のリズム・アンド・ブルースのノリが味わい深いことに気がついた細野さんの話です。

(以下「エンドレストーキング」より引用)

それまで根も葉もないことをやるのがロックだと思われていたんですよ、実は。みんな、ただアフター・ビートで叩けばいいと。電気楽器で。ところが歳をとって耳が肥えてくると、ロックというのはそんなもんじゃなくて、非常に歴史があって、時代の変わり目のエッセンスをすくってきて、たとえばスゥイングからロックに変わる時期にスゥイングの片鱗が残ってて、ロックでもベースの人はウッドベースでスゥイングを弾いてたんですが、ドラムはシャッフルからよりタイトになってきて、縦割りに8ビートになってきていた。そういう「ずれ」こそロックだということがだんだんわかってくるわけです。一種のポリリズムですね。そうしないと本当のロックのビートが出ない。ただ単にみんなが同じビートで、2-4でビートを刻んでも、ただの8ビートではそれはロックじゃないんです、厳密に言えば。
(中略)
ブギウギもスゥイングと縦割りがミックスされているんです。それも微妙な割合で。それを知らないとコンピュータでパーセンテージを打ち込めない。シャッフルでもない、縦割りの8ビートでもないというような、独特のノリがあるんです。それを称して一拍子のノリって当時いってたんです。別名「おっちゃんのリズム」とかいってね。それは、『泰安洋行』でもちょっと突き詰めたんですけど。

(引用終わり)

えらく引用が多くてすみませんが、つい興奮して、、、、。すごい話ですよ!

細野さんの言葉は、インタビュー起こしのため、ちょっと論理がうねうねしています。
私の言葉でまとめますと、、、。

ロックも音楽の伝統から無縁ではない。
ジャズの「スゥイング」全盛期は、シャッフル、つまりはねるビートが普通だった。その後、50年代のロックの時代には、ドラムははねない8ビートを叩きはじめたのに、ベースは微妙にはねる感じを引きずった8ビートを弾いていた。
これを一緒に演奏すると、当然ズレが生じ、「うねり」が生まれます。
で、このうねりこそロックの「ノリ」で、うねりがあるリズムが「おっちゃんのリズム」。

打ち込みというのは、シンセサイザーをコンピュータに自動演奏させる、いわゆる「打ち込み」も、そのノリを出そうとすると、機械的にシャッフルと縦ノリの中間になる。

えーと、
シャッフルというのは、「-」を休符、「●」で音出と考えると、大体こんな感じになります。

●--●|●--●|●--●|●--●|
タンンタ|タンンタ|タンンタ|タンンタ|

シャッフルしない(=ハネない)と、こんな感じ。

●-●-|●-●-|●-●-|●-●-|
タンタン|タンタン|タンタン|タンタン

つまり、シャッフルしないリズムの2つ目、4つ目、6つ目、、、、の「●」の音が出る位置を、少し(16分音符1コ分)後にずらすとシャッフルになります。

この二つのリズムの「間」に、「おっちゃんのリズム」はある、ということ。


実は、先日
『憂鬱と官能を教えた学校』菊地成孔


この本を読みました。
基本的には、最高にわかりやすいバークレー・メソッドの入門編、なのですが、このなかに「律動」という項があります。律動とは、リズムのことです。
この本の中に、ブラジル音楽のリズムの「揺れ」について、菊地さんの見解が記されています。
(菊地さんによれば、バークリー・メソッドにはリズムについての理論がないそうですが。)

ここで、菊地さんが言うのが「訛り」というキーワード。

まさに、先ほどの細野さんの言葉の引用とシンクロするのですが、ブラジルのリズムは、はねたリズムと、数学的に等分されるリズムとが溶けて一体になる直前の混沌が定着されているので、ブラジル音楽には絶妙な訛りがあり、それが音楽の魅力、個性に繋がっているという話です。

うーん、なんか、目が開けた気分。私がブラジル音楽にはまった理由を突きつけられた気分です。

細野さん、菊地さん、ありがとう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

そして、救いが(StrangeWeather 4)

Marianne Faithfull / Strange Weather、ようやく最終回になりました。

「涙あふれるままに」。


"As tears Go By"

一日の終わりに
子供たちが遊ぶのを座って見ていた
私のためではない笑顔
私は座って、涙あふれるまま見つめている

全てを手に入れることは出来ない
ただ子供が歌うのを聞いていたい
私に聞こえるのは地面に落ちる雨の音だけ
私は座って、涙流れるままに見つめている

一日の終わりに
子供達が遊ぶのを見ていた
私が昔遊んだ遊びを
新鮮な気持ちで遊んでいる
私は座って、涙流れるままに見つめている


前にも触れましたが、マリアンヌ・フェイスフルは、良家の子女にもかかわらず、不良グループ、ローリング・ストーンズとつきあううち、麻薬でぼろぼろになって、その後復活を遂げた歌手です。

"As Tears Go By"は、ストーンズに提供された曲。
アイドル時代に一度録音し、そして復活を遂げたあとに、アルバム「ストレンジ・ウエザー」で再録音しています。

一聴、声のあまりの変貌に驚きます。酒とくすりが、女の子の声を老婆のそれに変えてしまっています。

しかし、今こうして歌詞まで読んでみると、アイドルがこんな曲を歌っていたことのほうが、不似合いな気さえします。

この歌で私が好きなところは、かつて自分も夢中になった遊びを、子供達がやっているのを見て、「この遊びは、子供達にとっては新鮮なものなんだ。」と気付くところです。

戦争体験を語り継ぐのは難しい、とよく言われます。
それは、体験というのが、本来的に誰かに伝えることができないためです。

自分で体験したことは、「思い出」や「充実感」、そして「後悔」という形で自分の中に残っていきます。戦争のように、その傷跡が大きいほど、「私はこんなに強く後悔しているのに、なぜこの気持ちが人には伝わらないんだ」といジレンマを抱くことは想像できます。

恋愛でも同じです。人を傷つけてはいけない、と頭ではわかっていても、だれかを傷つけてしまうことがあります。
そして、そんな残酷なことができた自分自身に、自分も無垢ではないというあきらめと寂しさを感じてまた傷つく、、、、。
そんな思いをした人は、こんな思いはもうたくさんだと思うでしょうし、できれば他の人もしないで済めば幸せなのに、と思うでしょう。

でも、これからも子供は大人になり、恋をし、そして、誰かを傷つけてゆくことでしょう。


公園で、子供達を見ながら、マリアンヌ・フェイスフルは、若き日の狂騒が、やがて深い悔恨になり、さらにそれが甘美な痛みに変わるのに気付いたのかもしれない。

「この子達も私と同じ失敗と、後悔をするだろう。
そして、このベンチで子供たちが遊ぶのを、涙を流しながら見るだろう。
そして、そうなることはだれも止められないだろう」という、大きな運命の力を突然感じたのかも知れない。

この気持ち、私には、諦めというより、救いに見えます。

このアルバムは、ストレンジャー・オン・アースという曲で終わります。

自分が誰にとっても異邦人であることを受け入れながら、それでも誠実に生きようとする歌。
これ以上に真摯な生き方なんて、たぶんありません。


"Stranger on Earth"


正しいことと悪いことの区別がつかないバカがいる
でも、なんとかそういう奴らへ最善を尽くそうとしてきた
でも私はいまだに、この地球の異邦人

ある人はくつろぎ、ある人は泣く
私は、生まれてこの方
生きるために戦ってきた
私は、生まれたときからこの地球の異邦人

私もみんなのようになろうと努力し、
悪いことを忘れ、いいことをしようとしたが、
どんなにがんばっても
悩みは増えるばかり

生まれてこの方
私は出来る限りのことをしてきた
いつか私が認められる日まで、
異邦人にはなるまい
異邦人にはなるまい


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年9月16日 (金)

ウォンカ@チョコレート工場=マイケル@ネザーランド。

週末、「チャーリーとチョコレート工場」を見に行ってきました。

ウォンカ役のジョニー・デップはマイケル・ジャクソンに激似。
で、世間ではどう言われているか、googleしてみると、、、、

みんなおんなじこと思ってる!

デップ自身がインタビューでわざわざ否定したりしているんですが、それは逆に言うと、見た人の多くがそう思ったということです。

顔の白塗りとか、奇妙な話し方とか、マイケルを連想させることはたくさんありましたが、中でも私にいちばん印象が強かったのは、厳しい父親への愛憎ごったになった混乱した感情でした。

ちなみに、ジョニーデップはインタビューで、「マイケルは子供好きだが、ウォンカ(デップの演じたチョコレート工場の主)は子供が大嫌いなので、全然違うよ」と言っていました。
でも、、、、マイケルって、きっと自分の思い通りにならない子供は大嫌いのはず。
そうなると、「いよいよ似てるじゃん」と思う。

・・・・・・・・この映画をマイケルが見た感想を聞きたいなあ。

「あのチョコレート工場、欲しい」

だったりして。

それにしても、全く予備知識なしに映画館へ行ったので、ティム・バートンが監督だったなんて知らずに見てしまいました。

ティム・バートン流のキッチュでビザールでバッドテイストなシーンが連発。
日本語で言うと、うさんくさくて怪しくて、悪趣味な場面、ということですが。

これを子供が見ると夜泣きしてしまうんじゃないかという、悪夢的なシーンの連続だったので、映画館の暗闇の中、周りにいるおおぜいの子供達を、ちょっと見回してしまった。

実は、子供の頃、原作「チョコレート工場の秘密」が大好きでした。

子供の頃は、奇想天外なホラ話のおもしろさに惹かれて夢中になって読んでいましたが、今改めて読み返すと子供への意地悪な視点とか、かなり恐いです。シーンとして恐いのではなく、その冷ややかな視線が恐い。
絶対零度のシニカルさ。

でも、そう考えると、映画は深~いところまで原作に忠実、ということになりますね。
ティム・バートンがこの作品を選んだのもわかる気がします。

原作のロアルド・ダールは、「奇妙な味の短編の名手」、という評価が高い作家です。
あなたに似た人 田村隆一訳


視点は相変わらず意地悪。登場人物は物語の進行にひたすら奉仕する。
こういう、大人向けの小説もおもしろいですよ。

訳者は、チョコレート工場の秘密と同じ田村隆一。
不良で、詩人で、大人なおじいさんです。

(追記;『チョコレート工場の秘密」、田村訳は絶版でした、、、、。でも、柳瀬尚紀訳が普通に手に入ります。
こっちも読んでみたくなりました。きっと、言葉遊び炸裂なんでしょうね。)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005年9月12日 (月)

フラメンコ×ヒップホップ

NHKで、日曜の夜に北中正和さんという方が、ワールドミュージックの番組のDJをされています。

ここで2年ほど前に知ったのがこの一枚。
Ojos De Brujo / Bari

オホス・デ・ブルッホ、と読みます。

いかにもなフラメンコの音+インドっぽいパーカッションやスクラッチ音など、様々な音楽が混ぜ合わさっている感じがとっても「今」な感じがして、ラジオを聞いた翌日、タワーレコードとHMVに電話で問い合わせました。
でも、その時は、どちらも店員さんすら知らないというかんじで、途方に暮れてしまいました。


半年後、輸入盤屋で「大プッシュ」なんて飾られているのを見て、速攻買いました。

北中さんによれば特に歌がラフすぎて、本当のフラメンコ好きにはどうかと思う、という意見でしたが、私的にはばっちり。

"Ventilator R-80"という曲の哀愁と疾走感は、ぜひお勧めしたいです。
今は日本版も出ているはずですが、アマゾンを検索した限りでは、はやばやと廃盤になってしまったのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年9月10日 (土)

やけっぱちになることの快感(Strange Weather 3)

マリアンヌ関連、まだまだ続きます。
"Strange Weather"より、"love,Life and Money"。

ほら、
子供の頃、雨が激しく降る中、裸足でぬかるみに入ると、足の指の間を「むにゅ」と泥が通ります。パンツの中までびしょぬれで、もう、どんなに汚れても関係ないぞ、と思うと、ついつい泥の水たまりの中に座り込んじゃったりして。

・・・・・今思えば、ものすごくセクシャルな気分だった。(幼稚園児のくせに、ね。)

そういう、やけっぱちでいることの快感。

愛、人生、そして金

愛よ、
おまえは恐ろしく高くついた
おまえと賭けをしようとしたけど、
おまえはいかさまサイコロを使っていた

耐え忍ぶ人がいる
痛みを感じる人がいる
無情に降る雨よ
私に全てふりかかれ


金よ、
お前は親友をくれた
たぶん金で集まってきた親友を。
最後はだめになった

耐え忍ぶ人もいる
痛みを感じる人がいる
無常に降る雨よ
私に全て降りかかれ


愛と人生と金の
分け前はもらった
そして、全て失った

いっとくけど、全く冗談じゃない
私の金は奪われた
私の愛も奪われた
人生は無意味
いっそ死にたいよ

人生よ
おまえはあまたのバカどもを作り出す
お前はいつも学校では習わないことを教えるから。

耐え忍ぶ人もいる
痛みを感じる人がいる
無常に降る雨よ
私に全て降りかかれ

ふと思いついてネットで調べると、白髪のブルースマン、ジョニー・ウインターのバージョンが有名らしいですね。
これ、私は聞いたことがないんですが、聞いてみたくなりました。
こういうイイ話が手に入るというのは、ネット情報も捨てたもんじゃないなあ。

で、マリアンヌ・フェイスフルのバージョンですが、ドクタージョンのピアノが、ほんといいんですよ。
伊達に苦労してないよね、ドクター・ジョン。
Strange Weather / Marianne Faithfull


--------------------------------------------

ドクター・ジョンで思い出しました。

ニューオリンズの音楽には一方なくお世話になっておりますので、台風被害への基金に、私も寄付します。みなさんもぜひ。詳しくは赤十字のHPを見てください。

そういえば、台風直後に行方不明になっていたファッツ・ドミノ氏ですが、無事が確認されたそうで一安心。

行ったこともない街なのに、こんなに、こんなに悲しいなんて。

音楽の力は凄い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年9月 9日 (金)

新月の娘(New Moon Doughter)

カサンドラ・ウィルソンに、A Little Warm Death「ア・リトル・ウォーム・デス」という曲があります。
ありていに言えば、セックスの我を失うほど深い快感を、「一瞬の暖かい死」と表現した、とてもセクシャルな曲です。
快感を味わうことを極めれば、それは死と似ている、、、、。

深いような、動物的なだけのような、、、。

でも、自分がびっくりするぐらい自分の気持ちがコントロールできない瞬間が、ある。

自分が動物なのを思い出させてくれる音楽。
カサンドラ・ウィルソン / ニュー・ムーン・ドーター


あ、いかん、今自分のブログを見たら、以前にもこのアルバムのこの曲を紹介しているじゃないですか。

・・・・マリアンヌ・フェイスフルのことをずっと考えていて、連想ゲーム的に思いついたので書いてしまったのです。
まあ、一応、以前の原稿とは微妙に切り口が違うということでご容赦を。

”ストレンジ・ウエザー”の話、まだ引っ張ります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年9月 8日 (木)

間もなく救いが(Strange Weather 2)

ストレンジ・ウエザー、引っ張ります。


タイトルともなっている"Strange Weather"は、マリアンヌ・フェイスフルとはしゃがれ声同盟(?)のトム・ウエイツ作。

Strange weather

「向こう岸に連れて行ってくれ
ロンドン橋は落ちたよ。」

男は溺れたいのに、女は救おうとする

「天気予報通りの雨ね
薔薇はあなたが摘んだせいで枯れたのよ
このブランデーは私が頂いていいの?」

世界のどこでも 見知らぬ同士は天気のことしか話さない
世界のどこでも それは同じ、同じ、同じ

・・・・・・・・・

これが始まりで、これで終わり
私達はまた見知らぬ同士になり
霧が舞い降りてくる

なんとなく、アルバムのトーンがわかるでしょうか。
CD帯ではトーチソング(=古いラブソング)集、と紹介されていて、でも古いブルースもあったり、ストーンズの曲があったりするのですが、どの曲も、失ったものへの愛惜と、深いあきらめに包まれています。
今回歌詞を、つたない訳でどんどん紹介しようと思ったのも、アルバムの選曲では歌詞を重視しているのだと思ったからです。

それにしても、マリアンヌ・フェイスフル。
苦労を乗り越えて、説教臭いアーティストになるというのはよくある展開なのですが(cf.長渕剛)、そういう「教祖」方向に行かず、「女」を極めているのが、すごく美しく、かつ恐ろしい。


「怖い女」の世界が全開のこのアルバム。
実は、コム・デ・ギャルソンの94年のコレクション、テーマはずばり「怖い女」のショーの音楽は、このアルバム一枚だけからの選曲です。
顔の下半分から床まですっぽり覆う、ワンピースみたいなセーターみたいな真っ黒な服で、しずしずと歩くモデル達は、ほんとうに魔女かと思うほど怖い。

ちなみに、選曲は桑原茂一さんでした。


アンリミテッド・コムデギャルソン
清水 早苗 (編集), NHK番組制作班 (編集)


突然、本の紹介です。先日出版された、NHKスペシャルでのコムデギャルソン特集を本にしたもの。

怖い女(=femme fatale;直訳すると死にいたる女、、、って、恐すぎ!!!!)のコレクションも、ちょっとだけ載っています。

えーと、正直、手放しでお勧めできる本ではありません。
ファッションライターの清水早苗さんっていう商売上手な方が、うまいこと出版にこぎつけたなあという感じ。

なぜそう思うかというと、、、、難しいなあ。
ちゃんと話しましょうか。

この本に取り上げられている川久保玲(コム・デ・ギャルソンのデザイナー&社長)の発言は、名言だらけだし、かっこいいし、勇気づけられる。
「今の自分ではダメだあああああ、なんとかしなきゃあ」、なんて悩んでいる若人へのアジテーションとしては最高のものでしょう。


でもでも。
最近のコム・デ・ギャルソンの服は、クリシェ(常套句の繰り返し)が多いし、「いつも新しい服」といっている割には驚きが少なくなってきているし。
コム・デ・ギャルソン・オム・プリュス(という、男性向けのラインがあるのです)の中に、"homme plus evergreen"なんていう、昔のデザインを素材を変えて作り直した回顧ラインも出したり、、、何ていうかな、「まとめに入っている感」があるんです。

その割には、言うことは変わってなくて、「自由な精神の入っている服でしたら、それは着る方にも伝わると思います」(川久保玲;デザイナーの言葉)なんて言っちゃうところが、なんか、こちらとしては熱狂的に応援してきただけに、引いてしまうのです。

でも、でも、でも、
90年代末までのヤバいぐらい研ぎ澄まされたクリエイションの写真がこれだけ載っている本はないです。
眉につばをつけながら、でも感動できるという複雑な気持ちになる本です。

ちなみに、80年代後半から90年代前半にかけて、最も、、、、何ていうのか、、、、、鋭かった頃のコムデギャルソンを知るにはこの本。

川久保玲とコムデギャルソン
ディヤン スジック (著), 生駒 芳子 (翻訳) 単行本 (1991/12) マガジンハウス

これも絶版、、、、。


さて、アルバム"Strange Weather"に戻りましょうか。

アルバムの中盤まではけっこうどっぷりの曲が多いのですが、後半には、やがて救いが見えてきます。
これは後ほど。

(おいおい、まだ引っ張るのかよ、、、、、、、、YES!!!!!)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005年9月 7日 (水)

どよーん。(Strange Weather 1)

誰にもお勧めできる音楽ではありません。
でも、響く人には響く、はず。

蛮勇を振り絞りアップ。

Marianne Faithfull / Strange Weather

私が低い声が好きだというのは、結構何度も書いたと思いますが、これは別格です。
何と言うか、本当に救いがないほど暗い声。
でも、時々、この世界に、深く身を沈めてしまいたい欲望が沸き起こるのです。
でも、アルバムの最後には、きちんと「救い」が用意されていますので、ご安心を。


マリアンヌ・フェイスフルといえば、ストーンズのグルーピーで、麻薬をがんがん与えられて、マジにジャンキーになって、多くの友人を亡くしたあと、たまたま生き延びた人。

このアルバムは、ハル・ウィルナーというとんでもないプロデューサーが噛んだせいもあってか、一筋縄ではいきません。
まずは、ビリーホリデイの歌で知られるYesterdaysのカバーからご紹介しましょう。
複数形だから、たぶん「たくさんの過去」って感じかな。

Yesterdays

「たくさんの過去
幸せで甘美で過ぎ去ってしまった日々
古びた黄金色の日々
狂おしいほどのロマンスと愛の日々

弾ける若さは私のもの
喜ばしき自由と燃え上がる命
そして、真実は私の側にあった。

私は悲しく、でも、嬉しくもある
だって、今、私はたくさんの過去を夢見ているから」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年8月 | トップページ | 2005年10月 »