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2005年10月

2005年10月31日 (月)

血管切れそう、、、、南へ(5)

一時マイブームだった「南の音」。
これを忘れてました。

「燃え尽きろ、でも音を上げるな」
Primal Scream "Give Out But Don't Give Up"

一曲目、昔っぽいドラムの音が鳴ります。
すぐに、タイトでクリアーな「今」の音に変わって、ぶちきれロックが始まります。
この演出、ストーンズなどの南部ものに敬意を表しつつも、俺達はこのリズムで踊る、という、決意表明のように聞こえます。
中学生が弾いてるんじゃないかというぐらいブレる、外れるリズムギターのリフ。強烈にうねります。


そういうアッパーな曲の合間には、ずぶずぶに泣きぬれて、弱音を言いまくっている情けないスローナンバー。
完全にやられました。

これに触発されて、だいぶトム・ダウドの南部ものは聞いたけど、これ以上にかっこいい音はありません。


シングルで、(たぶんクスリでへろへろになって)ステージ上で座り込むボビーの写真が
ジャケットになっているのがあるのですが、ジャケ買いしてしまいました。

(I'm Gonna)Cry Myself Blind

Primalblind

ボギー・ギレスビー、この人、ほんとに溺れる快感、だめになる快感を知っていますね。


さて、余談です。

ジャケットは、星条旗ギターのネオンサインの写真ですが、これを撮ったのがWilliam Eggleston。
メンフィスに住む写真家です。

この写真集の表紙に注目してください。

eggleston

ちょっとボケがはいっているおじいさんがベッドに腰掛けています。
その右手には、黒光りするリヴォルバー。

こういう、「南部の退廃」を描かせたら、随一の写真家ではないかと思っています。


台風被害のあとどうなっているのか、最近はあまりニュースも入らなくなりました。
復興は進んでるんでしょうか。

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2005年10月24日 (月)

DJ Monk

しばらく更新が滞っていました。

今回は忙しいというわけではなく、このアルバムの衝撃をどう言葉にしようかというところで、はまってしまっていたのです。いったん書きかけを捨てて、素直に短く、書いてみます。


おまぬけなジャケット、凄い内容。
1957年、モンクもコルトレーンも、乗りに乗っていた時期の演奏です。

"Thelonious Monk Quartet with John Coltrane at Carnegie Hall"

まずやられたのは曲と曲の間が異常に短いことです。
モンクは、前の曲の最後の音の余韻が消えて、拍手が起こる前にもう次の曲のイントロをピアノが弾き始めます。

普通なら、曲が終わったあと若干の余韻があって、拍手も落ち着いたところで次の曲、ですよね。

しかも、前後の曲の雰囲気はかなり違います。
曲が変わると、かなり、「おっ」というショックがあります。

このアルバムで言えば、一曲目のミステリアスな”モンクス・ムード”(この曲、特にコルトレーンが入ってくるところあすごくモードっぽくて、"Monk's Mode"じゃん、といつも思ってしまうのですが)から始まって、2曲目は、早いリズムで覚えにくい裏打ちのリフが続く”エヴィデンス”。3曲目はまたスローな”クレプスキュール・ウィズ・ネリー”。

このライブは、曲の始まりはいつもピアノソロでのテーマ提示。
それが一区切りついてから他のメンバーが演奏し始めるというフォーマットです。
たぶん、あの曲間の短さでは「せーの」で合わせるのが不可能だったからでしょう。

このすばやさで次の曲を提示するのって、かなり心の準備が要ると思うんです。
前のスローな曲が終わる寸前には、「次はこの曲ね」と心に決めて、終わるやいなや、別の気分、別のテンポで語りださなければいけないんだから。


全く違うタイプの曲をかけることで聞き手の心を自在に弄ぶという意味で、モンクって「生演奏でDJプレイ」してる、と言えます。


DJといえば、これ。

"Live At the It Club"の演奏で、
"Evidence"という曲のエンディング、本当ならテーマが再現するところで、
なぜか、"Straight No Chaiser"のテーマが出てきます。

モンク師匠、血迷ったか、ということで、みんなが慌ててストレイト・・に合わせると、
すぐに平然とエヴィデンスのテーマが登場。
なにごともなかったかのように終わります。

邦盤の解説では、「モンクが自分が何を弾いているかわからくなって」なんて書いてありましたが、
いやいや、これ、確信犯でしょう。

たしかに、周りのメンバーが動揺したのはホントですけど、
こんなにすばやく道をそれ、もとの道に戻れるわけないです。

どっちかというと、モンクの茶目っ気が見えるという演奏だと思います。

このへんも、マッシュアップ(DJミックスの一種で、有名な曲のおいしいとこだけを何曲も繋いで一曲にまとめる)と、言えば言える。

さすがに強引かな?

そんなに無理して「DJ」でまとめなくてもいいよ、、、、、、
(と自分につっこむ)

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2005年10月13日 (木)

ロデオ デビュー(?)

今月、ついにチェロ発表会デビューしました。
私は全くの初心者なので、順番も早い。ついでに曲も短いので、あがる間もなくあっというまに出番を終えました。


感想。
うーん、広いホールって気持ちいい!

リハで、全くお客が入っていないときは、私の安いチェロがこれでもかというぐらい響き、驚きました。ホール全部を楽器にして弾いている気分。。。。。。それはさすがに言いすぎか。

でも、いつも部屋で弾いているのと同じに弾いても、楽器から鳴ってくれるので、力を入れて弓を弾くというよりは、自然に弾かされている感じになるのです。

本番、客席に人が入ると、すこしその鳴りはおさまったので、結局ごりごり弾くことにはなりましたが、いやあ、いい勉強になりました。

っていうか楽しい!

チェロって、ほんとに荒馬みたいです。

ピアノみたいにどう弾こうと音程(だけ)は正しい楽器とは違って、音程も音色も鳴りも、全て奏者次第。
おいしい半音進行のときは、わざと音程を外した方が上手く聞こえたりするし。

チェロは、楽器がでかいせいもあり、「弾く」というよりは、「乗りこなす」という感じがぴったり来るんですよね。
今は、振り落とされないようにするだけで精一杯です。

毎日、ちょっとだけでも触ろうと思ってはいるのですが、、、、。
がんばります。

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2005年10月11日 (火)

こんな夢を見た。

今、深夜二時です。


さっき、夢を見ました。
目を覚ましても割と鮮明に覚えているので、書いておきます。
なんか、短編小説みたいに、かなり筋立てがはっきりした夢です。

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舞台は、田舎の郵便局。
定年前の郵便局長、中年の局員、美人の女性局員の3人が働いています。

女性局員と局長の会話。
局長「うちも、郵便局統廃合でなくなるから。きみも、せっかく入ったのに悪いね」。
女性局員「仕方がありませんね」

この綺麗な女性局員に憧れる小学生の少年がいます。
(二人の出会いは夢には登場しなかったけど、たぶん、親の使いで切手を買ったとか、そんな感じの出会いがああったんでしょうね、、、。)


女性局員は、仕事を終えると、いつものように帰宅します。
電車の駅から自宅までは延々続く、まっすぐな田んぼ道。
(夢では、この道を歩く局員の映像が俯瞰で見えました。)
女性局員は、この道で、誰かにあっという間に追い越されたような、ちょっと恐いような不思議な気がして、後ろをそっと振り返りますが、だれもいません。


そんなある日。
少年は、憧れのお姉さんが勤める郵便局が、いつのまにか存続することに決まったことを知り、安心します。
憧れのお姉さんと、また会うことが出来る。

郵便局での会話
局長「○○さん(中年の男性局員)はやめちゃったけど、二人でがんばろうね」
女性局員「はい。」
局長「うちも、国への貢献をしなきゃということで、妖怪を保存するという仕事を見つけたんだ」
女性局員「(よくわからず)はい。」

その夜、少年も、自宅へ帰る長い長い一本道で、誰かに追い越されたような気がしてふと後ろを振り返りますが、誰もいません。
でも、あの美人の女性局員だったような気がしました。

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、、、、、
ということで、たぶん、美人女性局員は、自分でも気がつかぬうちに体の中に妖怪を飼うようになった、というオチなのですが。

まあ、舌足らずなのは夢だから許してください。


でも、なんか、自分がいつも見る、特にストーリーがないイメージだけの夢とは違って、すごくきちんとストーリーがあって驚きました。

ねぼけた頭で、「これは絶対、筒井康隆の小説にあるはずだ」と思って目がさめました。
が、冷静に思い出すと、筒井さんの作品にそういうストーリーのものはありません。

で、だんだん頭がはっきりしてくると、さっきの夢のストーリー、筒井さんの「座敷ぼっこ」とものすごく「気分」は似ているんです。

筒井康隆というと、凄く暴力的、スラップスティック、恐怖、なんてイメージもありますが、それだけではないのです。


筒井康隆「座敷ぼっこ」


この中の表題作、「座敷ぼっこ」と、凄いリリカルな感じが似ていたんです。

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定年間近で、奥さんをなくした老教師が主人公。
故郷の東北(?)の町にはしばらく帰っていません。

ある日、授業の中で、自分の故郷には「座敷わらし」がいるんだ、と話をすると、いつのまにかクラスに一人多い、という話で生徒達は盛り上がる。
でも、誰がざしきわらしなのか、結論は出ない。

老教師「わからないのが、座敷わらしなんだよ。」

その後、教師は女子生徒の一人と会話する。
その子の故郷も東北の町。
教師は、やさしい子だなあ、と思う。
その子は、先生に別れを告げる。

そして、ある日、授業の中で、自分の故郷には「座敷わらし」がいるんだ、と話をすると、いつのまにかクラスが一人少ない、という話で生徒達は盛り上がる。

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あいまいな記憶で書いてしまいましたが、ふるさとの座敷わらしが、老先生のもとへ会いに来てくれた、という話です。

確か、終わりは、ふるさとのことを考えて、
「遠いなあ、と、先生は思うのだった。」
なんてモノローグで終わったんじゃないかな。

ずいぶん昔に読んだきりですが、こんなにストーリーを覚えているぐらい、大好きな短編です。


私はオリジナルの短編集で読んだと思うのですが、この本は、「ベストオブ筒井、リリカル編」的な編集のようですね。

他にも、「会いたい」「睡魔のいる夏」など、好きな短編ばっかり。
これは、買ってみようっと。


こんな名作が、今でも普通に手に入るというのはいいですね。

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2005年10月10日 (月)

NANA見ました。

昨日、映画『NANA』を見てきました。

プロモVで中島美嘉の主題歌を聞き、見たい気持ちが高まっていたのですが、たまたま最終上映前に仕事が終わり、今しかないとかけつけたのです。

けっこう感動しました。
とにかく中島さんを見ているだけでOKという感じです。







ああ、そういいながら、映画のちょっとした「ほころび」について書いて、言い訳したい自分がいる。

で、書きます。気になったこと。

シド・ヴィシャス風のRの錠前は、風呂に入ると錆付いて開かなるんじゃないの。。。。。。

すいません、冗談です。
そういうことじゃなくて、、、、、、、

NANAが恋人のベーシストの首に錠を掛け、その鍵をずっと持ち続けていたことです。

たぶん漫画の原作がそうだったからなのでしょうが。
そして、シド・ヴィシャス(セックス・ピストルズの破滅型ベーシスト)の首にナンシー(シドの恋人)が錠前をかけたという伝説の引用であるにせよ。

それでも、NANAが他人を縛るような行為をするのにはひっかかりました。

誰かを縛るようなことは、自分の美意識に逆らうことのはずで。
だから毎日かなり無理をして生きているのがNANAという人のような気がする。

彼女が、この恋愛感情だけは素直に表していたというのも、ちょっと無理があるような。
NANAは、そういうことが死んでも出来ないぐらい、フェアなところが魅力ではないかと思います。

でも、なんだかんだ言っても、結局、中島美嘉が好きなんですね、私は。


今、ふと気がついたことが。

私はデビュー当時の椎名林檎におもいっきりはまったクチですが、私は、椎名林檎の伝記映画みたいなつもりで見てたんじゃないか。

なんか今、この映画が好きな理由が、自分で腑に落ちてしまいました。

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2005年10月 8日 (土)

江戸ゴス

東海道四谷怪談を読み終えました。


江戸時代の戯曲なんて読みなれているはずもなく、ちょっと努力が要りました。
いろいろ重なって、たまたま自分の中で読みたい欲が高まったから、かなあ。


これには伏線があります。

まず、平田オリザさんの「忠臣蔵」と出会いました。

平田版忠臣蔵は、主君が切腹した知らせが入るところから始まり、「討ち入り」に行こうか、とみんなが合意するところで終わります。
ですから、映画なんかで取り上げられる「松の廊下」「討ち入り」などの派手なシーンは一切ありません。
家臣たちが、「困ったなあ」「どうするよ」、「君んちはいいけど、うちは息子小さいしねえ」、、、、、、、と、現代語で延々会議を繰り広げるだけの戯曲なのです。
でも、そうしたグダグダな会議を続けていくうちに、場の雰囲気が盛り上がってしまい、なんとなく討ち入りすることになってしまう。

これだけのパーツで戯曲として成立させてしまう平田さんの腕力は凄い、、、、。
「だらだら会議」、という日本的な決定システムの不思議さを感じる作品でした。


そうこうするうち、小林信彦さんの「裏表忠臣蔵」をブックオフで発見。
悪役の吉良は実はいい人、とか、内蔵助は部下の熱狂に「巻き込まれて」討ち入りの首謀者にされた、とか。
小林さんは、「第二次世界大戦に日本が踏み込んでしまった理由は何か」、という裏テーマを持っておられるので、視点のずらし方が平田さんとは違います。
が、忠臣蔵は日本社会の縮図である、というお話は共通しています。


で、さらにそうこうするうち、深作欣二監督の「忠臣蔵外伝 四谷怪談」の映画を雑誌かなんかで知ります。
(実はこの映画、いまだ見ていないのですが。)
このタイトルを見たとき、「そういえば四谷怪談の初演って、2日かけて、何幕かずつ忠臣蔵と交互に上演されたんだよな」、と思い出しました。

忠義=明の世界の「忠臣蔵」と、ピカレスクロマン(悪漢小説)の「四谷怪談」。
この両極が同時に進行するのがおもしろいんだと、誰か(多分、橋本治さん)が書いていたのを思い出したのです。

さらには、京極夏彦さんが「嗤う伊右衛門 」で四谷怪談を純愛物語としてひっくり返します。これは、堪能しました。

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、


という、長い長い前振りを経て、そういえば、原作って読んだことないなあ、と思い至り、挑戦してみたというわけです。

岩波文庫は、注がちょっと不親切で、ストーリーを理解するうえで大事な注のほかにも、何バージョンかある脚本のバージョン違いがやたら詳しかったりするので、読むとかえって混乱する注もあります。
正直、かなり骨が折れました。
最初の20ページぐらいは2,3回読み直しました。
あと、あらすじもネットで調べたなあ。

でも、そうやって慣れてくると、戯曲を読むのがいきなりおもしろくなってきたのです。


「両窓おろし」ってなんだかわかりますか?

岩波文庫の注によると、
「両窓おろし=客席二階、東西両桟敷の上部にある明り取りの窓。両方にあるから両窓という。それをしめて暗くする。幼稚な照明装置である」

ライトがない時代、暗転はこうやっていたんですね。

変な注もありますよ。
「月三両の三月しばり=毎月三両で三ヶ月間を約束した妾。今でいうオンリー」

・・・オンリーって、死語ですよね。ちなみに、注で言う「今」ってのは昭和31年のことですが。

そして、その後図書館に行って読んだのがこの本。
「歌舞伎大道具師」著者: 釘町 久磨次

これを読むと、四谷怪談ってのは、遊園地の出し物よろしく、ものすごく視覚的エンターテイメントがあったことがわかります。

仏壇からお岩さんが出てきて、恨みのある男を仏壇へ引っ張るとあっというまに消えてしまうシーン。
(仏壇返し、というそうです。)
殺され、戸板に打ち付けられたお岩さんが現れ、恨みを言って戸板がひっくりかえると、裏には小仏小平がうちつけられている。しかも、このお岩さんと小平は一人二役なのです。そして、最後にどくろになってばらばらに落ちる、、、(戸板返し)

戯曲を読むだけではどうなっているのかわからないこの仕組みが、図も交えてわかりやすく解説されています。
申し訳ないのですが、図がないとわかりづらいので、この仕掛けは読んでのお楽しみということにさせてください。


とまあ、いろいろディテールも楽しいのですが、やっぱりイエモンですね。

冒頭から凄惨な殺し。
そして、殺し方も油断させて後ろからとか、卑怯なんですよ。

これほど悪いやつが登場し、そして破滅していくのって、ものすごくカタルシスがあるんです。

あ、そうそう、タイトルの「江戸ゴス」。

江戸時代のゴシック小説は、歌舞伎にあった、って感じでつけて見ました。

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2005年10月 2日 (日)

VENUSのエロジャケ問題。

VENUSというレーベルがあります。ジャズの発掘&新譜レーベルです。

サウンドは、自然な響きよりも、音そのものの手触り優先。ごつごつ、キラキラ、シュッ、といった、形容詞がくっつきやすい、わかりやすい音響的快感が持ち味で、現代版ブルーノートレーベルと私は勝手に名づけています。
要は、気持ちいい音色のためなら自然な音色である必要はない、ということです。

(ちょっと寺島靖国さんの臭いはしますが)その姿勢、大賛成。
で、だからこそ、ジャケをなんとかしてほしいんです。

トゥルー・バラード アーチー・シェップ

これは、
Fairground Attraction"The First of the Million Kisses"

のパクリ(?)、みたいなのはよしとしましょう。


でも、こんなお下品なのとか、
"But Beautiful"


仮面をかぶって足を出した女の人とか、
"Don't Know Why"

あと、盗撮っぽいこんなの。
"True Blue"

、、、、、なんでこれを商品にするのかわからない。

笑えるエロでもなく、本当にエロでもない。
ちょっとアートに片足突っ込んでいるふりをしているところが究極にかっこ悪いんです。
音がいいとしても、結構買うのに勇気要りますよね。

あら、今日はちょっと舌禍ぎみです。


でも、あわててフォローすると、オヤジエロ薄めのジャケットのこれは、大好きなアルバムです。
(まあ、裸の彫刻の写真ではありますが、、、、、。)

”パールズ” デヴィッド・ヘイゼルタイン


とにかく、冒頭のチッチキチッチキ、、、、と鳴るシンバル連打にもっていかれます。
シンバルの真ん中へんに、ドラムスティックの先が正確にヒットしている感じが、最高に気持ちいいです。
シンバルがシャー、と鳴る音とともに、ドラムスティックが当たるアタック音もよく聞こえて、ここらへんはさすがVENUS。


上手い人のドラミングって、ほんと映像を見るたびに憧れます。
変な言い方ですが、なんか、自分の意思でドラムを叩いている気がしないんです。

自分の外側(宇宙とか、、、、)から流れてくるパルスがまずあって、それに合わせて動いたら、たまたまドラムが鳴っている、っていうか、、、、、自然の大きな律動に自分の意思を離れて動かされている感じ。
ドラマーは、演奏する主体ではなく、宇宙のリズムの「蛇口」、「道具」っていうか。


他の楽器で上手い人を見ても、うまいなあ、すごいなあ、とはなるのですが、なぜかドラマーだけは、(たとえばイタコのように)神秘と繋がってる感じがしてしまうんですよ。


いつぞやは、自分がこの曲のシンバルを叩いている夢まで見たこと、あります。

、、、、、、、、、、、、、、、

昨日チェロの発表会があったのと、(にもかかわらず)仕事が死ぬほど忙しくて10日ばかりほとんど寝ていないということで、ブログの更新が滞ってしまいました。

まあ、ぼちぼち行きますので、今後ともよろしく。

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