« 2005年11月 | トップページ | 2006年1月 »

2005年12月

2005年12月26日 (月)

穴の空いた神様

アマゾンに、体のあちこちに穴が空いた神さまがいました。
名前はウアクチ(Uakti)。

ウアクチが森を走り抜けると、体の穴を風が通り抜けて素敵な音を奏でました。

女たちがその音に魅了されたので、男たちは嫉妬のあまりウアクティを殺してしまいましたが、その体を埋めた場所から3本のやしの木が生えてきました。ウアクチの魂はここにとどまりました。
だから、今でも、椰子の木から作る笛は、ウアクチの音がするのです。

伝説の音楽の神、ウアクチの名を冠した音楽集団、ウアクチのアルバムです。
美しいメロディーと、聞いたことのない楽器の響きがあふれています。

ウアクチが使う楽器の多くは独自のアイディア楽器を自作したものです。

そういうと前衛的な音楽を想像しますよね。それは一部当たってもいるのですが、、、、、音楽は、美しいメロディーとオーガニックな響きにあふれた、生音リラックス系サウンドです。


このジャケットデザインも、イタズラ書きのようですが、実は楽器のイメージイラストです。
右上の図は、三角形の板4枚を4人の人が叩く打楽器。左上は、瓢箪をそのまま共鳴部に使った、チェロみたいな楽器。
後は、大きさの違う瓶とか、箱に取っ手のついたもの、、、、。

大きさの違う瓶は、瓶の口をこすって共鳴させて音を出すのかも知れないし、砂を入れて、瓶の大きさによって「音階のある雑音」を出す楽器かも知れない。。。。

こういう暗号みたいな絵を見ながら、これがこの音か??などと想像するのが楽しいのです。
でも、中にはどうやって演奏しているのか判らないのもあります。
例えば、低周波成分を含んだ「バフ」音に音階のついたもの。

多分、塩ビの太くて長い管の一方の穴を、平らなゴムで叩いて「バフ」と音を出していると思うのですが、ものすごいスピードで連打しているんです。
絶対片手では無理だと思うのですが、両手で交互に叩くのも、これも人間業を超えている、、、、。

謎だ。。。


ちなみに、このアルバムの最終曲は、打楽器のみで演奏するラベルの「ボレロ」。でも、メロディー楽器を使っていないので、そう思って聞かない限り打楽器の競演にしか聞こえません。
爆笑の一曲です。


さて、
マリア・ベターニャのライブDVDを見てたら、最初の数曲でウアクティが伴奏していました。ここでも変な楽器が。

まず、ガラスの板を鉄琴のようにならべた「ガラス琴」。ビジュアル的にもきれいだし、音も透明で美しい。

そして、直径30センチ、高さ1メートルほどの円筒の外部に、何本も弦が張ってある楽器。
一人が、上についた取っ手で円筒をぐるぐる回します。そして、もう一人が、チェロでいう弓みたいな役割のものを持ち、その弦に触って音を出します。円筒が回るにつれ、それぞれの弦が順番に鳴っていきます。つまり、二人で演奏する回転式弦楽器なんですね。
一周すると元に戻るので、その一周が一つのパターンになって、曲が進行していきます。

ぐるぐる回る弦楽器という発想、演奏している時の儀式みたいな風情、、、。すっかり魅了されてしまいました。


ウアクティのウエブサイトには、楽器工房ウアクチの産み出した様々な楽器が、管楽器、弦楽器、打楽器、電気楽器などの分類のもと、展示されています。鍋のフタをいくつも木に固定して弓で弾く楽器とか、木箱にゴムを固定して指ではじいてメロディーを奏でるものとか。

アルバムの試聴ページもあるので、いろいろ迷い込んでみると楽しいですよ。

(ポルトガル語が読めれば楽器の解説もわかるのですが、、、、楽器の写真だけ見ていても十分楽しめます!)

ウアクチの凄いところはこれが音楽としてきちんと成立してしまっているところ。

和音構造には前衛的なところはあまりありません。
ただ、楽器の音が独特です。基本的には生楽器が中心ですが、そのバリエーションがとても豊かです。

無調の音とか、音階とノイズの間の音、音階そのものがかなり揺れる音、ものすごい低周波を含む音、などなど。
この音にこだわるから、自作楽器の演奏にもこだわるんだなとわかります。


メンバーの経歴を見ると、ミナスの交響楽団などで演奏していた人も多く、クラシックの訓練を受けた人が多いようです。きちんとした演奏技術の裏付け、一個の楽器としての完成度を追い込む力が一つになって、この音楽ができているんですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年12月21日 (水)

音楽の断片たち

菊地雅章さんのライブを聞きました。
サックスのグレッグ・オスビーとのデュオです。

オルフェ、ブルー・モンク、ラウンド・(アバウト・)ミッドナイトなど、よく知っている曲もありました。

が、その単音のメロディーを素材として、再構築を繰り返してゆきます。よくあるジャズのフォーマットのように、テーマ、ソロ、ソロ、テーマ、みたいなわかりやすい展開は一切ありません。原曲のコード進行も重要ではありません。
あくまで曲は素材、、、、、というよりは、もっと過激に、曲のメロディーの断片(9thの響き、とか)を手がかりに、自分が今まで鳴らしたことのない音を探ってゆく、という感じでしょうか。

響きに耳を澄ませて、次の音を探ってゆく。
自分の中の海。その、さらに深みへのダイビング。


一瞬、インタープレイ的な場面もあるのですが、基本的なラインは、お互いに邪魔もしないが共鳴もしない、という感じで、淡々と流れていきます。

演奏は、、、、、、、うーん、目の前の演奏にきちんと向かい合うのはかなりの難物、という印象でした。

要は、こちらがどう向かい合っていいのかわからない音楽なのです。

たぶん、この演奏が気持ちいいシチュエーション、気分、というのはあるんだろうなあ、と思いつつも、こちらはそこまで至らず。気持ちの準備ができないまま、演奏が終わってしまった、という感じでした。



ところで、菊地さんは、静かな曲でも唸る唸る!
「唸るピアニスト」の一人です。

それもかなりでかく。

かなりクリアーに唸って(?)いるため、無視することもできず。否応なしに一緒に聞くことになります。
あとで、他のお客さんが、「唸ってたねえ。いつもあんなに唸るのかねえ」と話していたのには笑ってしまいました。

(私の隣にすわっていた人は、菊地さんと一緒にかなりの音量でずっと唸っていました、、、、、、。「俺は菊地のことがわかってる、お前らと違ってな!」風なその声は、その自己主張ゆえにかなり耳障りでした。)
(ふぅ。)


さて、ようやく、前回の続き、音の話です。

私は、グレッグさんのサックスの目の前、80センチのところで聞くことができました。
本物が鳴っているわけで、これ以上いい音はありえない!

また、グレッグさんの音質自体がとても気持ちいい。ラウドすぎず、押さえすぎず。8割9分ぐらいの、いちばん綺麗な鳴りがずっと続く感じです。
途中、一回だけフリークトーンがあったけど、その音すら完璧にコントロールされていて、綺麗でした。


演奏については、上記のようにあんまりついていけませんでしたが、うまい人の演奏を目の前で聞けた、ということに大満足!


前回の「1000万円の音。」で、
【そのとき聞いた、サックスの音が忘れられません。サックス自体の鳴りと同時に、息継ぎや、キーがパタパタと鳴る音、息が漏れる音、までクリアーに聞こえるのです。】
と書きましたが、まさに、これ。あの1000万円のオーディオの音が、目の前で鳴っている、というふうな感動を覚えました。サックスの音だけでなく、そうしたノイズに耳を澄ましながら聞いているのがものすごく気持ちよかったのです。

これって、よく考えると、生演奏にオーディオ的な快感を感じるという、ものすごく倒錯した感覚ですね。。。。。。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年12月18日 (日)

1000万円の音。

私は全然オーディオマニアではありません。

去年、かな?
とあるオーディオショップで、合計1000万円の音を聞きました。
入り口に「○○試聴会」とかいてあって(もちろん機種は失念)、おもしろそうだな、と思って入ってみました。

そのCDプレイヤー、アンプ、スピーカー、ケーブルなど合わせると1000万円になるのだとか。私は、絶対オーディオに1000万はつぎこまない自信(?)があるので、これはいい機会だと思い、試聴室へ。

アンプの紹介がメインらしく、その会社の人がいろいろ教えてくれ(私には馬の耳に念仏でしたが)、そして、もちろんいろいろCDを聞かせてくれました。なんでも、通電して3日目。いつも、イベントが終わるころに最高の音になるのが悩みの種、とおっしゃってました。

会場には年配のマニアの方が数人。でも、みなさん、特に質問も話もしないんですね。だまって話を聞き、自分の試聴盤をかけてもらうと、カタログを手に帰っていきましたが、私は、なんとなく最後の人の試聴盤まで聞いてしまいました。


私は、いわゆる高級オーディオ自体が初体験。今まで、オーディオに金かけるならCDを買う、という信念で生きてきましたが、やっぱり、いいオーディオは違います。

まずはディテール。
そのとき聞いた、サックスの音が忘れられません。サックス自体の鳴りと同時に、息継ぎや、キーがパタパタと鳴る音、息が漏れる音、までクリアーに聞こえるのです。試聴に向いている盤をえらんでいるのでしょうが、今、あのアルバムは何だったのか聞いておかなかったのを悔やんでいます。

まあしかし、そういうディテールが聞こえるかどうか、という点については、ヘッドホンと競えるかもしれません。
「まるでヘッドホンで聞いてるみたいに音がいい」という、本末転倒な感想をもったぐらいです。

やっぱり、スピーカーが圧倒的にいいのは、定位感です。ヘッドホンは頭の中で鳴っているのに対し、スピーカーは、目の前数メートルで鳴っているという感じが段違いにリアルです。

・・・・・・
ということを思い出し、「いい音」を聞いてみたいと、いろいろ引っ張り出して聞いてみたりしているうち、我が家の高音質盤を発見!

Wood / Brian Bromberg

ブライアン・ブロンバーグというベーシストのソロアルバムです。題名どおり、ウッドベースを弾きまくるのですが、これが、うまい。早い。太い。
ビートルズのカム・トゥゲザーをウッドベースのソロで弾いているのですが、これ、凄いです。
とても一人で弾いているとは思えない、パーカッションの音は、実は胴体を手で叩いていたり。
オーバーダブなしの一発撮りというところが、恐ろしいほどです。

この音。
ベースの弦を弾いた時のアタックや、弦が指板に当たってビビる音、弦を叩く音、フィンガリングのきしみなど、音響としてのウッドベースを楽しむには絶好のアルバムです。
もちろん低音の楽器ではあるのですが、そういったノイズまで入れるとかなり広い音域の音が出ている楽器なのです。

そして、録音の方法も、かなり「狙って」います。

例の、高級オーディオの試聴盤のサックスもそうですが、たぶんマイクの選択や立てる位置など、ノイズをきちんと拾える録りかたをしているから、聞こえるのです。きっと。


って話から、菊地雅章さんのライブを聞いた話をしようと思っていたのですが、ちょっと力尽きました。

この話は次回。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年12月10日 (土)

衝撃の「きみまろトランス」

一月ほど前から、落語のCDにはまっていて、定番の志ん生や談志など、いろいろ借りてきては、通勤中にCDウオークマンで聞くというのが癖になっています。
おもしろいですね。ついつい引き込まれて、あっというまに聞き終えてしまいます。

落語はけっこう活字になっているものも多いのですが、CDを聞いたあとに読むと、その口調まで聞こえてくる気がして、また楽しいです。


さて、落語は、本を読んだり、テレビを見たりしながらの「ながら聞き」ができません。
当たり前と言えば当たり前なのですが、頭の使いかたが全然違うということでしょう。

物語を聞くとき、聞き手は、話者の語る言葉、情報を猛スピードで頭の中に記憶しながらストーリーを組み立てていきます。
巧妙に伏線もしいてあります。物語が始まってすぐ買ったあの「富くじ」、当たったのかどうか気にしていると、火事がおこったりしてそっちに気をとられますが、富くじのことを聞き手が忘れるわけではありません。「どうなったんだろう」という疑問は、聞き続けるための緊張となって、物語を聞き続けるエネルギーになるのです。
そして、その富くじが終わり近くになって当たったことが判ったりすると、すっきりします。(落語「富久」です。)

「あれはどうなったんだろう」という疑問は聞き手にとってストレスになります。このストレスを残しつつ、また別の疑問が提起されたりするとさらにストレスを感じ、そのストレスのおかげで聞き続けないわけにはいかなくなるし、また、最後にいくつもの伏線がきれいに解決すると、心地よいカタルシスを感じます。

考えたら、新聞の連載小説なんてそういうストレスで物語をひっぱっていくようなものだし、それは夏目漱石の昔から同じなんですね。


いきなり話がそれました。「落語はながら聞きができない」という話ですね。


さて、そんなある日、たまたまCDショップの試聴コーナーに「きみまろトランス」が入っていました。

ここで、ちょっと聞いたら、もう驚愕。

きみまろさんのステージに、「トランス」という、強烈なビートのダンスミュージックをあわせたものなのですが、これが凄いんです。


どのへんが凄いか、というと、ステージのトークをほぼそのまま生かしつつ、音楽をつけたところ。

これだけではぴんと来ないと思いますので、ちょっと解説。

これまでのこうした企画モノ音楽、例えば、ムネオハウスを例にしましょう。
ここでは、国会中継の音声の中から、鈴木宗男氏らの、印象的な言葉のパーツ、例えば「即刻撤回していただきたい」という一言を、音ネタとして、短く切り取り、音楽的に配置したものです。

例えば、

「即刻即刻そそっそ即刻 即刻撤回していただきたい て撤回カイ、、、、、、、。」

というのを、ムネオ氏の声をコラージュして作るわけです。
ここでは、ムネオ氏の言葉は単なる素材です。(凄くインパクトがある素材ではありますが、、、、、、。)

(ちなみに、上記HPから無料で聞ける「ムネオハウス」、アルバムで20枚以上、ってことは200曲ぐらいはダウンロードできます。ご興味のある方はどうぞ。)
{もうひとつちなみに、ムネオハウスとは、例の国後島の友好の家の名前、なのですが、それと「ハウスミュージック」というダンスのジャンルとの洒落です。これはマジ蛇足でした。)


ところが、きみまろトランスは、きみまろさんのトークをそのまま使いつつ、トークの流れに合わせて音楽をつけています。
例えば、トークの中で、答えを言わずに気を持たせたり、客席相手に細かいギャグを重ねて引っ張ったり、盛り上げて盛り上げて爆発したり、などという流れがあるとして、その流れに合わせて、音楽も、ひっぱったり、転調したり、ブレイク(小休止)したりするんです。

聞いてると、トークと音楽の相乗効果で、激しく持っていかれてしまいます。

これも、さっきの落語と同じように、流し聞きできない音楽です。
日本語が判らない人が音楽として聞くだけでは、とてもこのおもしろさは理解できないでしょう。


少し冷静な目で見ると、きみまろトランスは、きみまろさんの話を「流れ」という大づかみでまず理解し、一曲数分の「盛り上がり図面」みたいなものを書いた上で、成立している音楽なのです。


ヒットラーの演説中、PAで大音量の「ワルキューレの騎行」をかけて大衆を操作したというエピソードを思い出しますが、60年もたったきみまろは、より巧妙でより緻密で、より無害です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年12月 3日 (土)

When the Party Is Over

先日、いつも通っていたバーが閉店しました。

通い始めてから五年。この店のマスターのおかげでラテンミュージックの世界を知りました。
マスターは、とにかく耳が良く、聴きどころも独特、そして、リズムアンドブルースやジャズなどにも造詣が深い人でした。

サルサのトロンボーニストに、ウィリーコロンという大御所がいます。どんな人?と聞くと、「歌は下手だけど人気者、ワルを気取ってるけど照れながら歌う感じが婦女子に受けている」と即答。

こんなふうに、歌手のキャラからコミュニティ内の立ち位置まで知って、聴き込む感じ、いつもすごいと思っていました。


でも、無茶苦茶いい加減なところもあって、例えばメニューの「上海チップ」。

堅揚げのポテトチップを少し砕き、短冊に切ったキュウリを大量に添え、ザーサイを隠し味にした丹波の黒酢をかけた(だけの)おつまみです。(材料は最後の夜聞きました。)

初めてこれを食べた時、マスターに、「なんで“上海”なんですか?」と聞きました。

「上海って、昔からいろんなものやら人やらが混じってきた街でしょ。だから。」

え、それだけ?

「いや、ほら、中華風の味付けだし。」

こんないかした店にもう行けないと思うと、かなり凹みます。
いつもラテン音楽やリズム&ブルースが大音量でかかり、注文のときは大声を出さないといけない店でした。
最後の日も、同じように音楽がかかっていました。


セルソ・フォンセカのちょっと前のCDをプレゼントしました。
ラテン音楽の喧騒の後で聞くと、しみます。
Sorte / Celso Fonseca

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年11月 | トップページ | 2006年1月 »