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2006年2月

2006年2月27日 (月)

プレイボーイのジョン・コルトレーン(またまた改稿)

いささか旧聞ではありますが、「月刊プレイボーイ」表紙がコルトレーンでした。
まだ書店に出ているのかな?そろそろ次の号になっているのかな?


表紙も、青と黒のトレーンの顔(ブルートレインのジャケット写真)。
てっきりジャズ雑誌だと思って中山さんたちの気合の入った記事をペラペラめくっていると、後半に裸のプレイメイトのグラビアが出てきて、あれれ、と気づくというしかけです。


中でおもしろかったのが、またまた菊地成孔氏のコルトレーン原稿でした。

うろ覚えなのですが(おもしろかったのなら買えよ、と自分に突っ込む)、モンクの統合失調(最近、精神分裂病とは言わなくなった)の話。

モンクがよくやる、共演者が弾けなくなってしまうようなバッキングをつける理由について。


有名なエピソードですが、このアルバム中の「バグス・グルーヴ」で、マイルスのがソロを始めるとモンクが弾きやめる、というアレです。
マイルスがモンクに「俺のソロの間は弾くな」と言ったからだ、ってやつ。

険悪なムードだったとか、殴りあったとかいう説がある一方で、マイルスは、自伝で「あんな巨体の男(モンク)と喧嘩できるわけないだろ」と言っていたりと、諸説あり。

でも、確かにマイルスのバックではモンクは弾いていない。
これがクリスマスの日だったので、通称「クリスマス・セッション」です。


普通、ホーンがソロをしていれば、ピアノはコードを軽くコンピングしたりしながら、気持ちよく伴奏をしてあげなくちゃいけない場面。

でも、確かに普段のモンクのバッキングは異常、かもしれません。

平気でテーマメロディーを裏の拍にずらして弾き始めたりするので、モンクのピアノをマジメに聞いていると、拍子の頭がわからなくなっちゃうんです。

こうなると、ベース&ドラムだけを聞いて、モンクのピアノは無視してソロを吹くしかない・・・・・?


マイルスの自伝によれば、モンクと相性がいいジャズマンはみなサックス奏者。(ロリンズ、コルトレーン、チャーリー・ラウズ)。トランペットはサックスより音数が少ないから、煽ってくれるバッキングをしてくれないとダメなんだそうです。

モンク的な「ずらし」のバッキングは、トランペットに向いていない、、、、、、、、
一つの真実かな、とも思います、が。

でも、だからといって、モンク的バッキングを「弾くな」、っていうのも乱暴な気がします。
そんな心の狭いことをいっているからマイルスは粋じゃないんだよ、、、、、、ワオ、禁句でした。


話をもどすと。

なぜなら、モンクの頭の中には、①本来の「ソロ」、②モンクの「バッキング・ソロ」がふたついっぺんに鳴っている、気がするのです。
つらつら思うに、モンクは、ソロもバッキングも、どっちも「ソロ」なんです。(好意的に解釈すれば。)


モンクがそういうずらしのバッキングをしているとき、試しに、テーマメロディーを自分で歌ってみると、モンクのバッキングと自分の歌が、気持ちよく輪唱したりする。

モンクは、実際には鳴っていない、テーマメロディーを頭の中で鳴らしながら、それと輪唱するようにバッキングしていた、というわけなのです。

ジャズのソロでは、コード進行だけ活かして、テーマメロディーは忘れられていることが多いのですが、

俺の出したい音しか出さない、というモンクの俺節が感じられませんか。
、、、、、、、、時々、本当に自分でどこを弾いているのかわかんなくなったりするときもあるみたいですけど、ね。


さて、ようやくプレイボーイの菊地さんの原稿に戻ります。

菊地さんによれば、モンクは、頭の中に浮かんでいた音を出しただけ。
たしか、それを「統合失調的な音の出し方」だと論じていた、はずです。
(本来、こういう微妙な話にうろ覚えはまずいんですが、、、間違ってたらすいません。)

別に共演者に意地悪してるとか、試しているとかではないんですね。
、、、、、、マイルスさん、判ってもらえましたか?


菊地さんのように、「モンクのあの独特のタイム感は心の病のせいでした」、と言われちゃうと、わかったような説明過ぎて、ちょっとなんも言えなくなるのですが、、、、。
でも、上記のようなことを考えさせる、とても刺激的な記事でした。


*蛇足*

実は、菊地さんの記事の主眼は、「コルトレーンは、アフリカ的ポリリズムとインド的ポリリズムの板ばさみで分裂していた」、という指摘でした。
これもおもしろいのですが、菊地さんの本、

これを読んでないとついていけない、かも。

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2006年2月15日 (水)

自分が楽器になる快感。

今日、ラジオでこの曲を聞き、早速CDを買ってきました。

Ohna / 予感

3曲入りのマキシシングルです。
ハナレグミの永積タカシ、クラムボンの原田郁子、ポラリスのオオヤユウスケ、という3人が作ったグループです。


最初、この曲を聴いたとき、リードボーカルの癖のある歌い方がものすごく耳に残りました。


まず、男性の声は、繊細ですがとても芯の通っているという、書いてる自分も「矛盾してんな」と思っちゃう、存在感のある声なのです。

口を開くと5センチ幅の和紙テープが出て行くみたいに、均質で途切れない声が出て、閉じると、ふ、と消える感じです。いや、分かりにくい比喩というのは分かってるんですが、、、、。言いようがない、魅力的な声です。


そして、その声にからむ女性ボーカル(原田さん)は、例えばチャラのような、ちょっと粘るけど媚びてないという、こっちも不思議な存在感の声です。

コーラスグループということですが、このファーストシングルのタイトル曲についていえば、別に「コーラス・グループ」という感じはなく、男のリードボーカルに、女のリードボーカルが時々絡む、というつくり。


3管のホーンアレンジもひたすら気持ちよくて、何度でもリピートして聞いてしまいます。


ちなみに、オフィシャルサイトでは、一曲、ストリーミングでライブを見ることができます。

これは「予感」ではありませんが、こちらはいかにもコーラスグループらしい、一緒にうたってハモることの快楽に満ちた、楽しい曲です。

今日の文は全くヒネリがない、、、、、。

まあ、たまにはこういうストレートな速報性も大事だということで、ひとつ。

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2006年2月13日 (月)

自分の体を手なづける技

久しぶりのチェロ話です。


レッスンは続いていました。

、、、、実は。


で、今週のレッスンで初めての教科書「サポージニコフ」の最後までたどり着きました。たぶん、2年はかかってます。要するに、相変わらずの初心者ということです。

そして、あいかわらず、レッスンと同じくらい、先生との雑談がおもしろいです。


昨日おもしろかった話、まずは、

①弓を動かす方向
 について。

自分の感覚でチェロを弾いていると、どうしても弓と弦は垂直になりません。

で、先生が最近発見した教え方。
まずは、先生から見て、生徒にベストの角度で弓を持たせ、写メールで撮ります。

生徒は、自分の感覚では明らかに不自然な角度で弾いているはずなのに、写真で見るとまっすぐになっている、というのがリアルタイムで認識できます。

私もやってもらいましたが、とても奇妙な感覚を味わえます。

で、この不自然な感じを自然と感じられるように弾く練習をするのです。

ふーむ。

同じ考え方で、ダンスのレッスンみたいに、鏡の前で弾いても効きそうですね。

続いては、
②左指のポジショニング について

今私が練習している「重音」(2つ以上の音を同時に出すこと)では、2本以上の弦を一緒に押さえ、鳴らします。
この時、かなり不自然な指使いが出てくるのです。

ギターのタブ譜に準じて説明すると、2弦で1フレット(人差し指)を押さえたまま、2弦で4フレット(小指)、1弦で3フレット(薬指)を押さえるのが、自宅練習ではどうしてもできませんでした。

で、先生の解説。

弾く順番に指を置いていくのは、感覚的には当然のことです。
2弦の1フレットを係留(押さえたまま、次に弾くのを待つこと)したまま、2弦4フレ、1弦3フレと音を出す場合、どうしても小指を先に、薬指を後に押さえがちです。

ところが、薬指が交じるポジションは曲者なのです。
指には、押さえやすい順番というのがあって、上の例で行くと、人差し指と小指を押さえたあと、薬指を押さえるのは至難の業。でも、順番を変え、人差し指、薬指、と押さえて、その後、肘から動かして小指を捻って押さえると、あら不思議、きれいに押さえられるのです。

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この感じ、別の例を出して見ましょう。

例えば、片手の指を、全部机につけて、一本だけぐっと上げて、そのあと2センチほど指を手前へ曲げ、また机に付けてみます。

すると、不思議なことに、他の指はそれなりに上がるのに、薬指だけは1センチぐらいしか上がらないし、指は手前に曲がりません。

でも、薬指と小指を一緒に動かすと、あら不思議、薬指は楽にコントロールできます。
さらに、薬指と中指を一緒に上げると、さっきよりさらに楽にコントロールできます。

不思議ですね。

こういう体の癖を知ったうえで、難しいポジションをマスターしてゆくのです。

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さて、ここまで来たら、あとはそれをすばやく押さえる練習です。

ちょっと練習すると、すぐに、ちょっと見には一瞬で両方を押さえてしまったように見えるようになってきます。

先生のレベルになっても、曲を練習している中でどうしても押さえられない指使いが出てくるのは、よくあることだそうです。
その場合、今のような、指の押さえ順を一つ一つ、考えます。

先生も、押さえ順をサラって、ようやく弾けるようになる曲は多いそうです。


また、目が開かれた思いでした。

自分の体の癖を知って、その癖を手なづける。


あいかわらず、チェロは奥が深いです。

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2006年2月 8日 (水)

モリッシー=ホリエモン説

経済学の入門書を読んでいたら、お金の価値には根拠がない、という恐ろしい理論が整然と展開されていました。

お金とは、紙っきれになってしまう危険を常に秘めたモノです。
金本位制の昔は「一円=金○グラム」、という交換ができたから、お金は金(きん)という実体的な裏づけがありましたが、今はないからです。

そうすると、なぜ我々は働いた報酬として「お金という紙切れ」を受け取るのか、です。

その理由は、「この紙切れに誰もが価値を認めているはず」だから、です。「誰にとっても価値があるはず」だから、「いつでも必要なモノと交換できるはず」、というわけです。

でも、よく考えてみると、この関係は、親亀の上に小亀を乗せて、、、、、最後に孫亀の上に親亀をのせるような、無根拠なものです。
誰か一人がお金に疑問を呈せば、消えてしまうようなもろい信頼。

まさにドミノ倒しのように、親亀こけたらみなこけた。


「お金なんて何の根拠もないもの」、というあたりまえのことにみんなで一斉に気がつくのが「恐慌」、なのだそうです。
バブルがふくらむのも、「今の経済はイケイケだっ!」という根拠のない思い込みをみんなで共有しているからで、その思い込みがあまりにも強いので、「日本経済の実力をこえて膨らんでる」、という常識的な読みがぶっ飛ばされてしまうからです。


自然に呼吸をし続けるためには、自分が呼吸していることを忘れながら呼吸しなければいけないのです。
自分がきちんと呼吸できるのか、疑問を持った瞬間、呼吸は乱れ始めます。
、、、、、、、、、、。

信頼・自信って、めんどうなものですね。
でも、日常生活は、そういう自信がないと回っていかないのも事実。
いちいち、お金の根拠だの、自分がきちんと呼吸できてるかだのを考えては日常生活に支障が出てきますから、そんなややこしいことはいったん忘れる必要があるのです。

で、ある瞬間。

その自信が揺らぐと、その先には真っ暗な不信の谷が大口をあけて待ち構えています。

さて、
こういう話がうまく枕になっているのかどうかわかりませんが、とにかく、もう解散してしまった大好きなバンドの大好きな曲です。


The smiths / ask

このなかの「アスク」、という曲です。


アスク


恥を知るのはわるいことじゃない。でも
恥を知れば、やりたいことができなくなるよ

だから、何かやりたいことがあるなら、
もし何かやりたいことがあるなら、
僕に聞けよ。僕はだめとは言わない。言えるわけないだろう

恥じらいは素敵なこと。でも
恥じらえば、何も言えなくなってしまうよ
だから、何かやってみたいことがあるなら
もし何かやってみたいことがあるなら、
僕に聞けよ。僕はだめとは言わない。言えるわけないだろう

暑い夏の一日、室内で過ごしながら
ルクセンブルグの反っ歯の娘に捧げるために
背筋も凍る歌詞を書いている

僕に聞けよ 僕に聞けよ 僕に聞けよ

だって、これが愛でなのなら、僕ら二人を一緒に吹き飛ばしてしまう爆弾だ

「本能」という名の言葉、君にわかるかい?
「本能」という名の言葉、君にわかるかい?


80年代に衝撃的な曲を次々と発表した、ザ・スミスの曲です。
作曲のジョニー・マー、作詞のモリッシー。
このモリッシーが曲者で、笑えるスキャンダルを常に振りまいてくれていました。


さて、この曲では、引きこもりの作詞家が、片田舎の出っ歯の女の子に向けて、「悩んだら俺に相談しろよ」と呼びかけます。そして、「君がやりたいことを僕が止めるわけないじゃないか」と開き直ります。

大やけどの予感、、、、、、、。

さっきの「呼吸」の比喩で言えば、この主人公の男の子は、自分の呼吸を意識しすぎて、呼吸が乱れ始めています。
でも、自信を失うと、自分が自分でなくなってしまうのも知っているから、あえて自信があるふりをして虚勢を張る。

ごく自然な自信ではなく、不自然な自信のありよう。


そういうがけっぷちの自信は、二人もろともふっとんでしまうほど危険なものでしょうね。

そんな状況で、あえて誰かのために自信のあるふりをする理由は?と問われると、確かに『愛』としか言いようがないかもしれません。不思議な情熱です。

時節柄、ホリエモンと投資家の関係がダブって見えるような、気もします。

つかみ所がないところもありながら、深い歌詞ですね。
さすが、モリッシーです。


*****
ここで、注。

”Nature is language,can't you read?”
という最後の言葉の訳が自信ありません。

言い訳すると、"nature"って、ものすごく訳するのが難しい言葉なんです。「自然」、という意味のほかに、「本性」、「本質」、「本能」などなど、様々な意味があって、シェークスピアの研究者はみんな悩むらしいです。

で、あえてものすごく意訳すれば、

「隠していても心が通じあうことがあるけど、、、、。
 君とはそんな間柄になれないよね?」

って感じでしょうか。
*****


余談ですが。
モリッシーの歌詞は、響きも素敵です。
この「アスク」で言うと、

「バック・トゥース・ガール・イン・ルクセンバーグ」(「ルクセンブルグの反っ歯の娘(こ)」)

というところ。
あんまり響きが心地よくて、一緒に歌いたくなります。


さらに。
このアルバムに入っている"This charming man"も、口づさむと最高に気持ちのいい響きです。
カタカナで歌詞をずらーっと書くのも野暮なので、いつか機会があったらお聞きください。

速いテンポに、破裂音や濁音を多く含む言葉が詰め込まれていて、声を出すことの快感に満ちています。

、、、、、、、。

余談、と言いながら、後半の方が「みみをすます」というタイトルにはふさわしい話題でしたね。


そういえば。
マルコス・ヴァーレ、難しくて、、、、、なかなかレビューが書けない。
前回予告したのに、自分が本当にこのテーマで書けるのか、疑問を感じ始めています。

いいアルバムなんですけどね。

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2006年2月 2日 (木)

ボノボの。

ボノボにはまっています。
去年の夏発売らしいので、半年遅れ。


ヴォーカルの蔡さんの声、小田和正に似ていませんか?

違っているところは、もちろんたくさんあります。
音程が揺れるところとか、音を伸ばさずに、
ふ、
と丸めてフェードアウトする歌い方とか。

でも、
裏声になりそうで、ならずにどんどん高音域へ進んでいく声。
高音になるほど伸びやかになるこの感じ、似ていると思うのです。


一番好きな曲は、「あの言葉あの光」。

よくいくバーのマスターに、この歌が好きなんですよ、といったら、「らしいですね、箱庭的な曲です」といわれました。
必ずしもいい意味ではないのかもしれないけど、言いえて妙、であることは確か。
コード進行を、一つ一つ書き留めながら、一つの曲に仕上げていったような、「手間」を感じる曲です。

タイトルからは、カポーティの「遠い声遠い部屋」を思い出します。
カポーティーも同性愛だったらしいですが、「ボノボ」、という、同性愛もありの類人猿の名前をグループ名にしたことを思うにつけ、いろいろ思ったりもするのですが。

次は、ヴァーレの新譜の話を書きたいです。
すぐに書ければ、「みみをすます」には珍しい、「新譜」ガイドになるなあ。

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