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2006年6月13日 (火)

「ブレードランナー」の微積分

昨日、たまたま図書館で「『ブレードランナー』論序説」を借りて一気読みしました。

もともと、ブレードランナーは大好きな映画でした。
回数だけで言うと、今までいちばん繰り返してみた映画です。映画館で6回ぐらい、ビデオも合わせると20回ぐらい、見ています。

何がそんなに好きかと自問すれば、ストーリーとか登場人物ではなく、街の描写、全体のトーン、、、言いかえれば、世界観です。

全く希望も夢も感じられない未来の都市。
酸性雨に覆われた犯罪都市。
コンクリートも酸性雨にやられて、崩れてきそうなビルディング。
全てのものが煙や霧のかなたにおぼろげに見えるライティング。
こういうのが、生理的にすきなんです。

(これ、もしかしたら、「廃墟好き」の感覚と同じなのかもしれませんが。
私は、廃墟や、九龍城の写真集も大好きです。)


さて、肝心の『序説』ですが、「ブレードランナー」のストーリーを15のシークエンスに分けて、さらにその中のカットごとの意味を読み解きながら、映画史・映画理論・キリスト教図像学・・・・・などなど、あらゆる角度から読み解くという本。
「映画で大切なことは全てブレードランナーに学べる」的なトンデモ偏執本です(イイ意味で)。

編集手法からハリウッド映画の編集技法へ話が広がるような「積分」的分析もあれば、映画のワンカットに映っている看板を詳細に分析する「微分」的分析もあります。

それだけの読みを許容するほどの深い闇が映画「ブレードランナー」にはあるということなのでしょう。

「積分」分析で言えば、「ハリウッド映画の栄光はロシアで迫害されたユダヤ人が築いた」、というトリビア。カットバックの技法、フィルムノワールの定義、「フランケンシュタイン」以来の人造人間映画の系譜、とか、、、、。
よくも、たった一本の映画のワンシーン、ワンカットからこんなに話が広げられるものだと感心するぐらい、次から次へと話が広がっていきます。


その一方で、細部へのこだわりも尋常ではありません。
ビデオやDVDで各シーンを止めたり、スローにしたりしながら書いているのでしょう。たびたび登場する「強力わかもと」という強壮薬のCMから、「わかもと」~「若さの源」~「生命への執着」を読み取るとか、一瞬映る「万年筆」のネオンから、これも永遠の命へのあこがれを読み解きます。

こうした、「微積分的手法」が最も鮮やかに決まっているのが、ブレードランナーは「目玉/視線」へ徹底的にこだわった映画だ、という分析です。

確かに、映画の中では目玉がよく登場していました。
オープニングシーンに登場する、都市を見つめる巨大な瞳。
刑事・デッカードを殺そうとするレプリカントは、目を潰そうと襲い掛かる。
脇役として登場する、「目玉作り専門」の中国系遺伝子工学者。
「俺の目が見てきたものをお前にも見せてやりたい」というレプリカントのセリフ。

こうした細部から、著者は映画に込められた「視線へのこだわり」を読み解き、最後に、この映画はレプリカント(=人造人間)という人間未満の存在が、人間より人間らしく成長するまでの物語だと結論付けるのです。


なにげなく見過ごしている小さなサインを組み合わせて、その奥に秘められた大きな物語を読み解くというのは、探偵小説的、ともいえるし、精神分析的でもあります。


ただし、この本で分析されているもろもろの事例は、「無意識」に映画に混入したものではありません。

シナリオから、セット設計、照明、音響効果、俳優まで、現場の様々なプロフェッショナルが、「観客が気づいてくれなくてもいいけど、ここはこだわろう」と、がんばった努力を、きちんと読み解いているということです。


だから余計、こんな細部にまでエネルギーを注げるハリウッドの過剰さというものが、恐ろしくも魅力的に見えてくるという本なのです。

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