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2008年4月

2008年4月24日 (木)

しっそうする かなしみ

音響的快感、てんこ盛り。
気持ちいい音だけが詰まっているアルバムです。

パフューム『GAME』。

おととい。
CDショップで大音量でかかっているJ-POPがふと気になりました。
思わずふらふらとレジの人に、「これ、誰ですか?」と聞いたら、「えっ、知らないんですかぁ?」という顔で「ああ、パフュームです。」と教えてくれました。しばらく店内をうろうろしながら聞いていたら、これは買うしかない、という気分になって、買ってしまいました。久しぶりの新譜購入です。(ちなみに、この日はエリカ・バドゥも買いました。これもいいのですが、このアルバムについてはまた後日。)

一聴、アレンジがすばらしいです。

ブリブリ鳴っているシンセベース。
ヴォコーダーをかけて表情をあえて殺している、ヴォーカルの匿名性。
ダンスミュージックのツボを心得まくった、見事なブレイクと、タメたあとのブレイク明け。(Butterflyなど。)
曲ごとに違うドラムの音。
(実際、ものすごくフィジカルなハイハットワークが聞ける「マカロニ」から、モロ打ち込みの「ポリリズム」、ヒップホップ一歩手前のループ感「Take Me Take Me」まで、その振れ幅はものすごいです。例えばプリンスのアルバムも曲ごとにドラムの音が違いますが、もっともっと計算してとっ散らしている感じ。)

音から、「ダフト・パンク」など、いろいろの連想はするけれども、そこからアタマひとつ抜けた、この「吹っ切れ感」はなんでしょう。
気持ちのいい音だけを、聞き手の耳にねじ込んでやるぞ、という危険な覚悟のようなものを感じます。


「そして」、というか、「でも」、このアルバムの魅力はそれだけではありません。
せつない感じのメロディーやコード進行に隠れてはいますが、非常にマッシヴで暴力的な「打ちてし止まん」のビート感です。

唐突ですが。
評論家、小林秀雄の言葉に「モツアルトのかなしさは、疾走する。 涙は追いつけない。」 という名文句がありますが、この言葉を連想してしまいました。
この言葉を乱暴に私流にかみくだけば、、、
人は「悲しみ」というと、思いに深く沈みこむような静的なものを思い浮かべるけれども、それとは別に、「速度のあるかなしみ」というものがあるんだ、というのです。

たとえば「大切な人と死別した悲しみ」というのはとても静的です。そのかなしみはゆるぎないものとしてそこにある。重くて、足を取られると身動きできなくなるぐらい厳然とした重さのある「悲しみ」です。

でも、一方で、例えば恋愛というのは常に「動いている」状態なわけで、だから恋愛での悲しみというのはすごく動きのある刹那的なものです。一瞬後には天国と地獄が交錯する。時にはそのスピードが速すぎて、天国と地獄が同時に見えることすらある、そのスピード感。ジェットコースターに乗っているような、めまい。
その、左右も上下もわからないような酩酊感、混乱、無力感、、、、こんなとき、人は涙を流している余裕もなく、ただただ呆然としているはずです。

小林は、モーツアルトの音楽には、そんなふうに「動きのあるかなしみ」があると言うのです。
この感じには、「悲しみ」というより「哀しみ」という字が似合うかも。

でも、小林がモーツァルトを評した「疾走するかなしみ」って、このアルバム「GAME」の魅力も精確に言葉にしている気がするのです。


私が最初にこのアルバムにひっかかったのは、独特の「萌え」感でした。
特に、「シークレット シークレット」での、

「本当のキミを知りたいの」

というフレーズにやられました。
私としては「殺し文句 of this year」に入れたい気分です。

本当の君が知りたい、というのは恋愛ソングの定番テーマです。

でも、「キミ」と歌いだすところでは男の子が女の子に向かって言っているように思わせつつ、「の」という一文字で、鮮やかに女の子の言葉だとわからせる、この言葉の力。
文科系の不器用な女の子の「疾走するかなしみ」を感じませんか?


うーん、まあ、私がすごくはまっているということは伝わりましたでしょうか。
私的には、椎名林檎のファースト以来のはまりようです。

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2008年4月13日 (日)

ビジネスをデザインする。

コム・デ・ギャルソンの川久保玲さんと、カジュアル衣料会社のコラボレート。
最初は、なんじゃそりゃ、と思ったのですが。。。。。。


ネットの細道で遊んでいたら、こんな記事を発見しました。
4月3日に発表されたことなので、既にみなさんブログで書きまくっていて、もう今更感もあるのですが、とりあえずこれがH&Mのサイトのプレスリリースです。

スウェーデンのカジュアル衣料『H&M』がこの秋日本に進出を決定。そして、この秋の”ゲストデザイナー コレクション”をコムデギャルソンの川久保玲がクリエートする事になった、との記事です。

H&Mは、(さっきネットで調べたら)世界小売業者会議(World Retail Congress)で、ヨーロッパの小売業でもっともブランド価値を持つ小売業者と認定されたほどの会社だそうです。
H&Mは、これまでにもKarl Lagerfeld(カール・ラガーフェルド)、Stella McCartney(ステラ・マッカートニー)、Viktor&Rolf(ヴィクター&ロルフ)、Roberto Cavalli(ロベルト・カヴァリ) を迎えて同様にゲストデザイナーコレクションをしていますが、そういうファッション界で高い評価を受けた人とのコラボもブランド戦略の一つなのでしょう。


さて。
上記のプレス・リリース(つまり、H&Mがマスコミに発表した記事ですね)を見ると、H&M側は『川久保さんは、長い間私たちの「ウイッシュリスト」の一番でしたので、私たちとのコラボレートを決心していただき、たいへん緊張しています。」と最高の敬意を表しています。
「ずっとウイッシュリストのトップだった」、という言葉は、「誰もやったことがないことに挑戦しないと意味がない」と常に言ってきた川久保さんが、5組目の「ゲストデザイナー」になることへの配慮を含んだ微妙な発言でしょう。

一方、川久保さんのコメントはこう。
「私は「クリエーション」と「ビジネス」のバランスをとることにいつも心を砕いてきました。このジレンマがあるとき、私は常に「クリエーション」の方を優先してきました。H&Mさんと組む事は、魅力的な挑戦です。なぜなら、そのジレンマを最高に高め、そして解決するチャンスだからです。」

このプロジェクトの最重要課題は、(クリエーションを最優先にするのではなく、)クリエーションとビジネスのバランスを取ることである、と読めます。つまり、儲けのことを無視する事も厭わなかった川久保さんが、初めて、創造と儲けをともに満たすという難題に立ち向かう、という意味で「挑戦」なわけですね。
まあ、これは「企業だから当たり前だろ!」という声も飛んできそうな話です。ちょっと意地悪な見方ですが。

でも、制作の裏側を想像するに、コトはそう単純でもないでしょう。

まずは、1着あたりのコストが違うでしょう。スケールメリットがあるのでデザインにお金はかけやすいかもしれませんが、縫製や素材でどこまでわがままがいえるのか。(それともスケールメリットがあるから、オリジナル素材も安く使えるという逆転が生まれるのか?)
また、たぶんこっちの方が大きな問題でしょうが、一つのデザインで作る服の絶対数がケタ違い。そういう中で、イメージコントロールはどうしていけばいいのか。
そして、会社の規模も理念もビジネススキームも全く違う会社とのコラボ。たぶん、CDGという会社は、今までのコラボとは比べ物にならない強力なプレッシャーと闘う事になるでしょう。

こう考えているうちに、最初は巨大な衣料会社と組むなんて安易じゃん。、、、、と川久保さんの決断に批判的だった気持ちが変わってきました。
資本では比べものにならないH&Mと組む上で、ビジネス的な失敗はしませんと発言する川久保さんが、なんだか雄雄しく思えてきました。


最近のクリエーションを見るにつけ、なんか最近のCDGのデザインに釈然としないもの(自己複製感)を感じていたのですが、彼女の次の挑戦は、ビジネススタイルをデザインすることなのかもしれません。

今回の答えは、服の中にはないかも。
露出や展開、イメージの演出など、服ではないところで、きっとこれから先にいくつもの衝撃があるような期待を感じています。

秋に、びっくりさせてくれるのか、がっかりさせられるのか、久しぶりにCDGが気になってきました。
ちょっと不安ながらも楽しみです。

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2008年4月11日 (金)

幻の。

最後に、ニューヨークのライヴ話、余談です。

雑誌「ヴィレッジ・ヴォイス」で見て、絶対行きたかったのにチケット売り切れで断念したライブがありました。以下がヴィレッジヴォイスの記事の要約です。

3月1日
Patti Smith
縮れっ毛のパンク・アイコンで深夜のCBGBの常連だったパティ・スミスは、昨年の3月、ロックンロールの殿堂入りを果たした。・・・・(中略)・・・・彼女が2007年にリリースしたアルバム「Twelve」では、評論家好みのド派手なカバーやぱっとしないカラオケに反旗をひるがえすカバーアルバム。レコードは、クラシックロックの王道、たとえば「ギミーシャルター」「ホワイトラビット」「ソウルキッチン」をカバーしている。午後8:30 ジャズアットリンカーンセンター、アレンルーム。

一夜限りのパティ・スミスのライブ、、、、。
見たい思いが募って、ネットでさらに調べると、このコンサートは「アメリカン・ソングブック」という企画のトリであることがわかりました。アメリカの産んだジャズ、ソウル、ロックなどさまざまな曲をさまざまなアーティストが演奏する、というもので、パティ・スミスは、彼女が若い頃影響を受けた女性、母や、クリス・コナー(Chris Connor)、ジューン・クリスティ(June Christy)たちに捧げるショーということで、さらに見逃せないのが”As currently planned, it will include standards, original songs and poetry. ”
つまり、スタンダードも演奏するというということ。どんな曲をやるのか、興味がありました。

ところが、さすがに4日前ではチケットが手に入らず、泣く泣く断念することになります。
(でも、そのおかげで、このブログで紹介した"Tom Harrell"と出会える事になるわけですから、まあ、運命ということでしょうか。しかし、どんなライブだったのか、ネットで何を調べても出てこなくて、とても気になっています。)

ところで、パティで検索したら、彼女がホストのボブディランのポッドキャストを発見してしまいました。
こちらも興味がありましたらぜひ。
http://www.podcastdirectory.com/podcasts/44358

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楽しい前衛

書く書くといっていた、ニューヨークでマークリボーを見たという話ですが、ずいぶん記憶が薄れてしまって。

まずは、ニューヨークの情報誌、ヴィレッジヴォイス。街頭にポストがあって、いろんな無料週刊誌がこんな感じで置かれています。毎週水曜に新しいものが並びます。
Dsc00153


この雑誌で、こんな記事を見たことから始まります。

080323_1700

こういう告知を見たら、行きたくなりませんか?
マークリボー。そして、元チボマットのホンダユカ、ジョンレノンの息子、ショーンレノン。
というわけで、行ってきました。(しかも15ドルだったし。)

まずは、前座で、ホンダユカのバンド「ヘレンカ」。ショーン・レノンがベース、ホンダユカがキーボード。あと、ギターとボーカル、クラリネットという編成でした。

入場のときのこと。チケットカウンターに腕にいれずみのあるちょっと個性的な女の子がいて、入り口はこっちだとか、ここで酒を飲んで待っているといいよ、などと親切に語りかけてくれ、そのくせおつりを間違えて、指摘すると恥ずかしそうに返してくれたのですが、いざステージが始まると彼女がボーカルで登場してびっくりしました。
その女の子がPetra Haden。
結構長く(1時間半ぐらい?)ヘレンカのライブがあって、おもむろにおじさんが舞台に。


舞台袖に置いてあったらしいエフェクターを出して、のろのろと触っているので、最初は片づけをしているのかと思いました。その間、40分。私は、あまりにも長々と機材に触っているので、片づけではなくセッティングだと気がついたのですが、待っていた一部のグループは、終わったのかと思って帰っちゃいました。


ケイタイを見ていたら、ライブの間に撮った写真が一枚出てきました。
ライブの間、セッティングをするマーク・リボー。
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なんじゃあ、というぐらい何も写ってませんね。
でも、この奥左のほうに、マーク・リボーがうつっている、はずです。(たぶん。)

演奏は、前半は立っていても眠ってしまうぐらいの(時差ぼけ、、、)ミニマルなものでしたが、終盤になるにつれ、がんがんに盛り上がってきました。
ロックとかのように、わかりやすいフォームはないのに、聞いているこちらもブレイクはわかるし、エンディング前の曲だ、これからエンディングだ、なんていう構成もわかって盛り上がれました。

聞きながら、みんなは(そして自分も)なんで、こんなアバンギャルドな音楽を聴いて、先が読めるんだろう、楽しめるんだろう、とずーっと不思議に思っていました。マークは最初からずっと椅子に座ったままプレイ。でも楽しそうにノリノリです。

こういうアバンギャルドな音楽は、CDでは退屈してしまうのですが、ライブだと体にしみこむ感じで楽しめます。でも、一番の収穫は、マークのノンシャランな、飾らない雰囲気。
ニューヨークでずっと前衛音楽を続けてきた、というと肩肘張ったこわもての人物を想像してしまうのですが、あんなに力の抜けた前衛なら、いくつになっても続けられるでしょう。

最後はおまけで、ニッティング・ファクトリーに飾ってあった、ホックニ―の写真『ニッティング・ファクトリー』。これも画質は最悪ですが、サービスサイズの写真を張り合わせて風景を作る、例の作風のものでした。

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2008年4月 8日 (火)

眠ることと食べること(『マイ・ブルーベリー・ナイツ』)

先日、映画『マイ・ブルーベリー・ナイツ』を見てきました。

うーん、、、ロード・ムービー、なのかな。
旅人はノラ・ジョーンズ。
ロードムービーと言うと行きっぱなしの一方通行ですが、ニューヨークのカフェを出発したノラは旅先からいつもカフェのマスターに手紙を書き続けます。帰るところが常にある旅。だから、厳密にはロードムービーではないのかもしれません。

ノラ・ジョーンズがなんか、いいです。
うまいとか、味があるとか、あと、存在感があるとか、そういうのではないのですが、彼女が出ているだけで映画が成立してしまうような魅力。キャスティング勝ちでしたね。
彼女が泣きながら食べるシーンがあるのですが、ほんとうに、いい。

この日はメガネを忘れてしまっていました。私の視力は0.2。なので、前列から3列目で見ることにしました。
しかし、この映画、とにかくアップめが多い。というか、ミドルサイズより広いサイズがほぼない。部屋の全景が写ることがまれという徹底したアップの連続。レールショットやちょっとヒネた編集、短いカットを叩き込む編集など、随所に「ちょっとオシャレ」感が漂っていましたが、、、。もう、目が疲れて疲れて、、、、。

しかし、こんなにアップが多くて、しかもタイトルに食べ物の名前を使っているのに、食べ物がまるでおいしくなさそうなのはどういうわけでしょう?
冒頭、ケーキにクリームがたらりと流れるスローモーションとか、おなかが鳴るぐらい美味しそうに撮れるはずのところだとおもうのですが、そういう撮影が、ケレンに流れてしまった感じがちょっと不満でした。
色は、くすんでるのに色数多く鮮やか。アメリカの色だなあ、という感じではありました。

主人公に惹かれているカフェのオーナーが、すごく寒いのに外でタバコを吸うシーンがあります。ニューヨークは、公共の場所で吸っちゃいけないというのは聞いていましたが、店が閉まっているとき、オーナーが吸ってもダメなんでしょうか。
なんか変なところばかり気になってしまいました。

サントラの選曲は最高でした。
薄暗いバーでかかるオーティス・レディング。日本でいえば、裸電球の居酒屋で八代亜紀の「舟歌」がかかっているみたいな、どまんなか過ぎる選曲です。
静かなシーンで、チェロの開放弦の弓引きの音がスネークインしてきてゾクっとしてしまった、カサンドラ・ウイルソンの「ハーヴェスト・ムーン」。
ライクーダーの仕切りで、見事な「ダーク・サイド・オブ・アメリカン・ソングス」に仕上がっています。

眠る、食べる、飲む。
人間が当たり前にすることの哀しさが、胸に迫る選曲です。

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