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2008年6月28日 (土)

あいだ はざま スペース

この1年ぐらいかな、渋谷の駅前で”FREE HUGS”と書かれた紙を掲げて立ち、フリーハグズ!と叫んでいる若者を見かけるようになりました。
そして、通りがかりの人がOKなら、互いにハグする(抱き合う)のです。ハグとは、挨拶的な抱擁のことですね。

最初は、なにかの宗教活動かと思っていたのですが、気になってネットで調べたら全然違いました。アメリカ(オーストラリア?)の男性が始めたキャンペーンらしいのですが、社会運動でもないし、思想信条のアピールでもないし、あえて言えば身体メッセージかな。

一人の男が、「フリーハグ」というパネルを持って街を歩き、見知らぬ人とハグするという運動を始める。次第にハグを受ける人が増え、同じようにパネルを持って街に出る人も増えてきて、やがてこのキャンペーンは世界に広がっていった、ということです。U-TUBEにも、その過程をナレーションなしの音楽ビデオにまとめたものがあがっています。このキャンペーンが世界中に広がったのも、クチコミというより、このU-TUBEによってということらしい。

ハグすることの意味はオープン(一つに決めない)にされています。
たぶんあえて、でしょう。でも、ハグという身体的接触から生まれる安心感や、言葉を超えたコミュニケーションであること、たまたまであった見知らぬ相手と一対一で行うこと、その一瞬の出会いが全てで後をひかないこと、などから、いろいろ判りやすい説明はできそうですね。
そうそう、性的なニュアンスはまったく感じられません。
とまあ、こうして考えてみると、改めてすごく素敵なコンセプトだと思います。

先ほどそのU-TUBEのビデオを見ていたら、なぜ私が日本の「フリーハグ」に乗れないかわかりました。
ビデオでは、(たぶんオーストラリアの?)街角でパネルを持って歩き、自らハグする相手を探しているんですが、日本版の方は、数人のグループで、駅前に立って、相手を待ち構えているんです。たぶん、この「数人」で「待ち構えて」「一緒にやろうと誘われそうな雰囲気」が嫌なのです。
フリーハグのパネルを持つ人は、通行人に一対一で向き合ってほしい。集団じゃあ、サークルへの勧誘です。そう、宗教団体の勧誘と勘違いしたのも、それが原因ですね。個人になる度胸がないボクちゃんたちとハグしてもしょうがない。

独立した個人がそれぞれやれば美しいことなのに、それを集団でやることで美しさを貶めている、という気がしたわけです。あー、自分の不快感の原因がわかってすっきりしました。
というわけで、フリーハグは一人でどうぞ!私も、1人で立っている人がいたら、こんどは逃げずにハグしてみてもいいと思っています。


いやあ、長いマクラ、というかこれでもう完結してるような話になっちゃいましたが、実はそんな話をしたいのではなかったんでした。
日本人って、よく他人と接触するのが苦手とか言われますが、実はもともと他人と触れるのに抵抗を感じない民族なんじゃないか、ということです。

先日、渋谷のスクランブル交差点を渡っていて気がついたことがあります。とにかく、渋谷は(というか日本は)よく人とぶつかる街なのです。袖摺りあうも他生の縁と言いますが、渋谷の交差点を渡ると何人と袖を摺りあうことか、、、、。
ニューヨークでは、歩いていてちょっとカバンが触れただけでも必ず"Sorry"と声がかかります。でも渋谷は、何というか、わざとちょっとだけぶつかりながら、それでいてぶつかったことを無視しながらみんな歩いているんですね。

そういう目線で渋谷のスクランブルを歩いてみると、日本人がいかに上手にぶつかりながら(でも歩けなくなるほどの衝突はないようにしながら)歩いているかが分かって、もう感心するばかりです。
でも、気がつけば私も人と人の間の狭いすきまをムリにすり抜けようとしているし、向こうの人もちょっと触れるぐらいの微妙な距離までは体をそらしてくれる。私の中にも「軽くぶつかるけど無視」な感覚が刷り込まれているのです。

元ニューヨーカーで今日本在住という人に聞いてみても、やっぱり渋谷のスクランブルでぶつかりながら歩く感じは不思議だし、ストレスを感じるそうです。そういう話を聞いたら、これまでは平気だった私も、混んだ道を歩くのが苦痛になっちゃって困っていますが。。。。

また、地下鉄でも同じことを感じました。ニューヨークでも、当然地下鉄が混むことはあるのですが、その時に日本の満員電車のように、他人によりかかって体を支える感じはないのです。とにかく他人と接触している部分をなるべく最小限にすべく気を使って、「私はなるだけ体をそらす努力をしています」、とアピールながら乗っている感じがあります。(満員電車でスシヅメという状況は同じなので、あくまでも感覚的なことなんですが。)

人種も考え方も多種多様で、互いに分かり合えないというのが前提だからこそ、相手の空間を侵すことに慎重になるのかも知れませんね。

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