グルメ・クッキング

2008年7月 2日 (水)

ローフード?

ニューヨークの話を忘れないうちに。とは言ってもかなり忘れているんですが、、、、、。

向こうで流行っているレストラン、ということで、ローフード(raw food)レストランに行ったときのこと。
「ピュア・フード・アンド・ワイン(Pure Food & Wine)」というお店です。

Pure Food and Wine.
54 Irving Place, New York, NY 10003

ローフードというのは、48度以上に温度を上げないで、食材の中の酵素を壊さない健康食(というコンセプト)の料理。
つまり、熱々のものは原理的にありえません。あとで調べたら、雑誌やテレビにも出ているカリスマ女性シェフSarmaさんのお店らしい。

私がトライしたのは「ナポレオン」という、ズッキーニなどの野菜を薄切りにして、円柱状にまとめたもの。そして、アボガド+カシューナッツ+サワークリームのトルティーヤでした。
ナポレオン、ほとんど(全て?)野菜。トマトとバジルの香りでまとめてあって、若い白ワインに合う味でした。
トルティーヤはよくメキシコ料理に出てくるやつで、とうもろこし(?)粉を円盤状に固めたものに、アボガドなどを細かく切ってサワークリームでまとめたものがアイスクリーム状に盛り付けてあります。これを自分でディッピングして食べるというもの。
お店は真っ暗だったのと、まったりした気分だったのでとても写真を撮ろうという気になれませんでした。

料理は、「おもしろいけど、ふーんこんなもんかあ」という感じ。おいしいんですが、メニューを見たり、他のカウンターの方の料理を見ても、バリエーションが足りない感じ。でも、盛り付けがすごくきれいだったのと、店の雰囲気のよさにはとても感心しました。
カウンターに座って大正解でした。
ソムリエ?のジョーイさんが、回りに満遍なく目配りしながらいろいろなオーガニックワインのうんちくを教えてくれたり、「そういうワインが好きなら、いいのがある。これは1人分ないから、サービスだよ」と、ワインを注いでくれて、でも、注ぐとグラスに半分以上あったり、と至れり尽くせり。そういえば、NYでは日本の大吟醸も流行っているんだよ、と教えてくれました。確かに、冷やした大吟醸なんかにはあいそうな料理ばかりでした。
(厳密には、日本酒は、お米を蒸してから発酵させるので、ローフードとはいえないかもしれない。)

たぶんモデルさんらしき女性がたまたま隣に座って、いろいろ話しているうちに、「私はここの常連だから、メニューにないけど、アレをもらうの。ねえジョーイ、スプーンを二つちょうだい」と、非常にこってりしたチョコレートケーキを勧められました。一口だけ食べたので最高においしかったけど、彼女の前に盛られたのは、結構な分量でした。うーん、なのにあんなにスリムなのは凄い。


また、Pure Food and Wine の接客のよさに惹かれてか、すごくフレンドリーな人があつまるようで、「俺、日本で有名な作家の○○さんを知っているんだ。彼の娘は、俺の前妻(EX-wife)だったんだよ。彼女と別れた訳はね、、、」と、面白いんだけど深すぎる思い出話をしてくれたり、また別の常連は「ああ、あなたは日本人が来るとその話ね」といなしたり。

店は薄暗くてかなりオシャレな感じだったので、入るときはドキドキでしたが、すごく居心地がよくて。結局2時間ほどはいたようです。

今日はほんとに思い出話だけでしたね。
ひねりがなくてすみません。

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2008年6月 8日 (日)

「Cocoo(虚空)」に捧ぐ

私がとても好きだった店が閉店しました。もうないお店なので、実名でいきます。
Cocooと書いて「コクー」。
かわいらしい店名だなあ、と思っていたら、実は

「大学で仏教哲学を専攻していたもので、「虚空」という名前にしたかったんですが、なんか硬いんで、COCOOにしました。」
「よく、「コッコ」と間違われるんですよ。でも、コクーです。」
と、若いマスターに教わりました。

なんて話を受けて、私も学生時代仏教哲学をひとコマとったことを思い出しました。(ひとコマだけですが。)
龍樹(ナーガルジュナ)の著作『中論』では、この世の全てには実体がなく、虚空である、という論が展開されていました。
その時の授業は今思ってもユニークなもので、授業の一番最後のリポートは、龍樹の『中論』とミヒャエル・エンデの『モモ』について述べよ、でした。
エンデは東洋思想に深く影響された、というか、着想も含めてかなり根底に東洋思想があった人でしたから、あながち見当はずれとは言えません。

話がかなりそれましたが、そのお店がやたら真っ暗なのです。
明かりは、(たぶん調光機で絞った)裸電球一個。これではメニューも読めないので、グループに一個ずつ小さなキャンドルが付けられます。
手作りのスピーカーから、昔のソウルミュージックや宗教音楽などが、独自の耳で選ばれていました。ここで教えてもらって、愛聴盤になっているものもあります。
たとえば、



JAZZMANというレーベルから出ているコンピ、"What is Wrong With Groovin'"。ドーナツ盤のレア曲をとても丁寧に発掘していて、どのCDも最高なのですが、特にこのアルバムは、ギターやドラムのエコーの感じがとっても「音響」的で、大音量、いい音で聞くと最高です。

あと、オノセイゲンの「サイデラ」レーベルのアルバムもよくかかっていました。要するに、とても音に集中できる環境のお店だったのです。

そういうわけで、私も、このお店に何枚かアルバムの紹介をしました。たとえばこれ。


Dead Can Dance "Toward the Within"

おっ、アマゾンで調べたら、今年の7月に紙ジャケットで再発されるようです。紙ジャケットはなんとなく好きになれないのですが、それはそれとして、また注目を集めるタイミングなのかもしれませんね。
これは、4ADというイギリスのレーベルからのアルバム。80年代中盤から、コクトー・ツインズなど、耽美的(いまやちょっと恥ずかしい誉め言葉ですが)なアルバムを数多くリリースし、ある時代を作ったレーベルです。(これは90年代中期のアルバムですが。)
この「デッド・カン・ダンス」(バンド名は、「死者も踊れる」、という感じなのでしょうか?)にけっこうはまっていました。いわゆる耽美だけではなくて、ケルトやペルシャなどの民族音楽のエッセンスを、メロディー、楽器、歌唱法(ヨーデルみたいな歌い方まで、、、、)もろもろに取り入れていて、かなりプログレっぽいところもあります。
でもそんな理屈をこねずとも、端的に「かっこいい!」と思える、おすすめのアルバムです。静かなところも多いですが、強烈な盛り上がりもやってきます。

さて、
このアルバムには「ペルシャン・ラブ・ソング(Persian Love Song)」という曲があります。おそらく、題名どおり、ペルシャのラブソングのカバーなのだと思いますが、そこから、こんどはこのアルバムを連想しました。
David sylvian "Brilliant Trees"

この3曲目の"Nostalgia"のイントロが、Dead Can Danceの上記のアルバムのなかの一曲、"Persian Love Song"と全く同じメロディーを使っています。節回しも同じなので、どちらかがどちらかをサンプリングしているのか、それとも共通のサンプルソースを使っているのかもしれません。
このアルバム、よく癒し系とか言われますが、そして、まあ実際そういう聞かれ方もできますが、内に込められたオーガニックな力に圧倒されるアルバムです。
たとえば。
木が静かに静かに枝を広げて行くときは、激しく自己主張することもないので、一見物静かで恐ろしくもなんともないように見えます。が、ひとたびそれを止めようと思うと、その力の巨大さに圧倒されるでしょう。誰もそれを抑えることはできない、、、、。オーガニックな力といったのは、そんな、恐ろしさを秘めているアルバムだからです。


そして、最後の連想、これは単純にタイトルからの連想ですが、Cocooのマスターには、"Persian Love"という名曲が入ったこのアルバムも勧めたことがありました。
Holger Czukay "Movies"

ホルガー・シューカイ(チューカイ)は、カンという伝説のロックバンドのベーシスト。
このアルバムでは、短波ラジオのテープコラージュと一緒に演奏するというかなり実験的なことをしていますが、「ペルシアン・ラブ」はとてもポップでせつない名曲。
むかし、ヤン富田さんのライヴで、生で短波ラジオをかけて演奏していた、とか、コーネリアスのライブでオンエア中のテレビの映像を使ってVJをしていた、なんて話の根っこには、このアルバムがあるのかもしれません。

ラジオとの競演ということで、「即興性」も問われるのでしょうが、聞いていると、それよりも、海の向こうで流されている曲と一緒に音楽をやっているという「同時性」がより強く心に残ります。この「ペルシアン・ラブ」の切なさは、そんなところからきているのかもしれません。


Cocooのマスターは、親の介護のためにいったん田舎へ帰るとのこと。
またいつか、あの空間で、音楽を聴いてみたい、です。それまでお元気で。

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2008年4月 8日 (火)

眠ることと食べること(『マイ・ブルーベリー・ナイツ』)

先日、映画『マイ・ブルーベリー・ナイツ』を見てきました。

うーん、、、ロード・ムービー、なのかな。
旅人はノラ・ジョーンズ。
ロードムービーと言うと行きっぱなしの一方通行ですが、ニューヨークのカフェを出発したノラは旅先からいつもカフェのマスターに手紙を書き続けます。帰るところが常にある旅。だから、厳密にはロードムービーではないのかもしれません。

ノラ・ジョーンズがなんか、いいです。
うまいとか、味があるとか、あと、存在感があるとか、そういうのではないのですが、彼女が出ているだけで映画が成立してしまうような魅力。キャスティング勝ちでしたね。
彼女が泣きながら食べるシーンがあるのですが、ほんとうに、いい。

この日はメガネを忘れてしまっていました。私の視力は0.2。なので、前列から3列目で見ることにしました。
しかし、この映画、とにかくアップめが多い。というか、ミドルサイズより広いサイズがほぼない。部屋の全景が写ることがまれという徹底したアップの連続。レールショットやちょっとヒネた編集、短いカットを叩き込む編集など、随所に「ちょっとオシャレ」感が漂っていましたが、、、。もう、目が疲れて疲れて、、、、。

しかし、こんなにアップが多くて、しかもタイトルに食べ物の名前を使っているのに、食べ物がまるでおいしくなさそうなのはどういうわけでしょう?
冒頭、ケーキにクリームがたらりと流れるスローモーションとか、おなかが鳴るぐらい美味しそうに撮れるはずのところだとおもうのですが、そういう撮影が、ケレンに流れてしまった感じがちょっと不満でした。
色は、くすんでるのに色数多く鮮やか。アメリカの色だなあ、という感じではありました。

主人公に惹かれているカフェのオーナーが、すごく寒いのに外でタバコを吸うシーンがあります。ニューヨークは、公共の場所で吸っちゃいけないというのは聞いていましたが、店が閉まっているとき、オーナーが吸ってもダメなんでしょうか。
なんか変なところばかり気になってしまいました。

サントラの選曲は最高でした。
薄暗いバーでかかるオーティス・レディング。日本でいえば、裸電球の居酒屋で八代亜紀の「舟歌」がかかっているみたいな、どまんなか過ぎる選曲です。
静かなシーンで、チェロの開放弦の弓引きの音がスネークインしてきてゾクっとしてしまった、カサンドラ・ウイルソンの「ハーヴェスト・ムーン」。
ライクーダーの仕切りで、見事な「ダーク・サイド・オブ・アメリカン・ソングス」に仕上がっています。

眠る、食べる、飲む。
人間が当たり前にすることの哀しさが、胸に迫る選曲です。

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2005年7月30日 (土)

炒める音

「今日の料理」の音、ヘッドホンで聞いたことありますか?

お勧めは、スタジオ料理のときの炒め物の音。
よだれ出ます。

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