音楽

2009年7月26日 (日)

初恋じゃない。SUMMER NUDE な恋

真心ブラザースの「SUMMER NUDE」にはまって、この夏は何度聞いたことか。

バージョンがいくつかあるようですが、私は上記アルバムの、ホーンが派手な「ENDRESS SUMMER NUDE」が好き。もう、メロディーもアレンジもメロメロに大好き、なのだけど、やはりこの唄の魅力の大きい部分は、強烈な歌詞にあると思います。なにしろ、一行ごとに、次々と視点が変わり、新たな事実がわかっていく、一大スペクタクル。

これは、歌詞を実際に見てみると、そのすごさがよくわかる。
ちょっと見てみましょう。(改行は原詩と異なる部分があります)


「何かたくらんでる顔」
   ~~恋人の顔のアップ。いたずらっぽくてイノセントな感じが魅力の女の子。

「最後の花火が消えた瞬間
浜には二人だけ」
   ~~浜辺のロングショット。二人きりの海辺での花火。一瞬の静けさも感じる。

「だからって」
   ~~切り替え。「僕」は、何か起こる予感を感じる。

「波打ち際に走る
Tシャツのままで泳ぎだす」
   ~~彼女の突然の行動。やはりイノセントな無邪気さ全開。

「5秒に一度だけ照らす
灯台のピンスポットライト」
   ~~視点、再び引く。浜辺を光の帯がよぎる

「小さな肩」
   ~~灯台の明かりに一瞬照らされる恋人の肩(背中)のアップ、かよわさ、のイメージ

「神様にもバレないよ 地球の裏側で」
   ~~これ、かなり謎のフレーズです。
      ただ、二人が会っているのがバレてはまずい背景があることを匂わせる。
      不倫とか、どちらかが二股かけているとか。


「僕ら今 はしゃぎすぎてる夏の子供さ」
   ~~みたび、イノセントなイメージ。

「胸と胸 からまる指」
  ~~イノセントでも、やることはやる。

と、ここまで引っ張ってきて、最後の必殺のフレーズ、

「嘘だろ、誰か思い出すなんてさ」

に至ります。
ここで、今まで全く無垢に見えていた彼女の、昔の恋人の存在が見えてくる。そして、彼女が前の恋から完全には吹っ切れていないことも。この彼女が、とても魅力的に描かれているのもポイント。

この先二人がどうなるのか、二人にも予測がつかない。ただ、相手を好きになる気持ちは、この夜、もう制御できないぐらいに高まってきている。
誰にでもある、恋愛関係が突然高まる一瞬を、短い瞬間の積み重ねで、ピンポイントで捉えているのです。

(映画的手法、とも言えそうだけど、もしもこれが映像で、この音楽のテンポに合わせてどんどんカットバックしていたら、めまぐるしくて見ていられないでしょう。やっぱりこれは、歌詞ならではの表現ですね。余談でした。)

このあと、同じようなアップと全景を繰り返す印象的な手法で、車で海から帰る二人が描かれます。はしゃいでるのは波打ち際のときと一緒だけど、一番の歌詞を念頭に置くと、車の中の二人は微妙に後悔しているようにも感じます。
「こんなに好きになって、もう帰れなくなっちゃったなあ」という感じの。

そして、二人はどこかで「白い朝」を迎えるのですが、その後には、再び必殺のフレーズが。

「僕はただ 
君と二人で通り過ぎる
その全てを見届けよう」

「僕」の、この恋へ溺れてやろうという、覚悟です。
どうなるかわからないけど(いや、むしろ、「見届ける」という言い方からも、ダメになることを覚悟しているのかもしれない)、この恋に賭けてみよう、という刹那を感じるわけです。
刹那い=切ない。


今、ネットでみていたら、7月1日に、このカバーが発売されていたんですね。

nawiiという、知らないアーティスト。

歌詞は、原作をもとに結構改作されたりつけくわえられたりしています。
こちらがその歌詞です。


このカバーバージョンのほうの最後の一行は、

「君とかぶる いつかの SUMMER NUDE」

という一言が加わっていることで、カバーの方の「僕」は、もっとあくどく、同じような恋を輪廻みたいに繰り返しているようですね。たぶん、去年もおととしも同じように、ちょっと他人には言いづらいような恋をして、同じようにダメになってしまったのでしょう。


「真心バージョン」の詩だと、「僕」の恋愛経験は一切語られていないので、「僕」にとっては初恋、というふうにも読めますし、私はそう読んでいました。
純粋なようでいて、意外に恋愛経験のある女の子と、その子に初恋をしてしまった男の子、という関係の方に、どうしても惹かれてしまう。

リアルに「夏の恋」の実態と近いのは、nawiiバージョンのほうかもしれませんが、私はやっぱり真心バージョンをとりたいな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 3日 (日)

ヒッピーに捧ぐ。

RCサクセションの忌野清志郎さんが、昨日なくなりました。
58歳。

「忌野」という名前からして、強烈な異人感をもった、
不世出のロッカーでした。
闘病のことも時々は耳にしていたのですが。。。残念です。


「お別れは突然やってきて
 すぐに済んでしまった」

「いつものような何気ない朝は
 知らん顔して僕を起こした」


「ヒッピーに捧ぐ」を聞いて、今日はフテ寝します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月 4日 (土)

おんなうた、おとこうた

先週の日曜の新聞で、演歌歌手ジェロがアメリカで凱旋ライブ、という記事を読みました。
ジェロさんの『海雪』は女ことば、女性人称で歌われています。
(「ねえ いっそこの私」・・・)

日本では、男性が女性の立場で歌ったり(内山田洋とクールファイブの『そして神戸』)、

逆に女性が男性の立場で歌ったり(榊原郁恵の『夏のお嬢さん』)、さらには異装で歌ったり(美川憲一)することが、悪趣味でもパロディでもなくて、表現の選択肢として成立しています。
でも、アメリカでは、歌い手の性別に合わせて、歌詞のHE,SHEを入れ替えるのが普通らしいのです。
詳しくは、この中河先生の論文を。

私なりに例を考えると、、、、

例えば『テネシーワルツ』は、女性歌手が歌うときには「あなたに彼女を紹介しなければよかった(そうすればあなたを奪われなかったのに)」だけど、男性が歌えば、「君にあの男を紹介しなければよかった」と変わります。
つまり歌い手の性別に従って歌詞を変えるわけです。

ちなみに、女性のKDラングは、男性のレナードコーエンの「電線の鳥」の「彼女は扉に寄りかかったまま、「どうしてもっと私に求めてくれないの?」と言った」を、「彼女」のままで歌っています。


これはラングがレズピアンであることを考えるとなかなか意味深に聞こえてきます。


さて、この性別問題に気がついて、いろいろジャズのスタンダードを調べていたら、本当に普通の事なんですね。アメリカでは。
この習慣、日本のように歌手がどちらの性別も演じられるのとは好対象です。(だから「演歌」?まさか!)

そうするとアメリカ人のジェロが女性人称で『海雪』を歌うのは画期的なことなんですね、多分。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月27日 (金)

息遣い

今日、CDショップで衝動買いしてしまいました。

菊地成孔と南博の『花に水』です。
サックスの音、最高です。
管の中を抜ける息や、キーのたてるパタパタという音まで、本当によく録れています。
ここまで、いわゆる「ノイズ」が聞こえるのは、録音の段階のネライもあるかも。

ソプラノサックスでの曲で、ちょっとフランス近代っぽい響きがする時には、これ、

立花ハジメの『H』を彷彿とさせる瞬間もありますが、さすが菊地。音色の濃やかさが凄い。
(『H』のラフな音色+坂本龍一のピアノも大好きですけどね。)

菊地さんのアルバム、今まではアタマ先行の感じがして、大好きなアルバムというのはなかったのですが、これはいい!
ライナーノートの能書きの、「モードジャズにはもともとジャポニズムの要素が、、、、」みたいなリクツがかすむほど、音として生々しい。傑作です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月24日 (月)

そら目アワー

マリア・ヒタ、いいですね。けっこうはまってます。
Maria Rita "Samba Meu"

でも、このジャケット、ついこれを連想してしまうのです。左側の男(ピート)をよく見てください。
The Who "Sell Out"

ちなみに、マリアさんは踊っているんですが、フーの方は、消臭剤を脇にあてているという図。


マリア・ヒタとザ・フーがつながってしまったのが面白かったので、ほかに自分の中でつながっているジャケットがないか考えてみました。

スーパーグラス" I should coco"


"Le Trio Camara"Le trio Camara

とか、、、、。これは、あんまり似てませんでしたね。


そして、モットザフープルMOTT


グールドの「平均率クラビーア第二集」(バッハ)

。。。。
これは、デザイナーが意識している可能性もありますね。


そして、よく見ると似ていないけど、脳内変換されて自分にとっては似ていることになっているものもあります。
Creedence Clear warter Revival "Bayou Country"

と、
"The Fat of the Land" Prodigy

この2つは、スローシャッターでズームインするという撮りかたが共通しているだけですが、なんか、私の頭の中ではつながっているんです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月13日 (木)

Remember YMO

おととい、ゆめうつつの中でNHKのラジオを聞いていたら、アノニマスというバンドと出会いました。

番組自体はライブだったのですが、さっきウエブでアルバムを探したら、ラジオで演奏した曲とかなり被っているスタジオ盤を発見しました。(まだ買っていないのですが)

選曲は、YMOの渋いのばっかり。
「インソムニア」とか、「ハッピーエンド」とか、ほんと重箱の隅、という感じですが、これがいいのです。(でも、好きな曲ばっかり。)

質のよいアレンジのおかげで、「この曲ってこんなにいい曲だっけ」と気づかされること多数でした。
特に、YMOは、友人の影響か、メジャーな曲よりはこのアルバムに入っているような比較的マイナーな曲を好んで聞いていたので、とりわけこころにしみたのだと思います。

特に、YMOの曲はかなり聞き込んでいる、という人にはおすすめのアルバムです。

・・・なんか、ものすごく普通の投稿になってしまいました。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月26日 (土)

かじきが釣れた

以前、ここで原田郁子さんの「かじき釣り」という歌の歌詞は面白い、という話を書きました。

きのう、新潮文庫の「いしいしんじのごはん日記2」を読んでいたら、いしいさんは原田さんと知り合いで、そして「かじき釣り」の作詞をしたと書いてあるではありませんか。


なるほどね。


クセのあるキャラクターの船長さんが登場したり、わかりやすいけど意外なストーリー展開など、たしかに「いしい的」な詞なのですが、全然気づいていませんでした。


いしいしんじさんは、私の中では、宮沢賢治の流れを汲むディープな童話作家です。時に悲惨で、だいたい残酷で、いつも大きな救いがある物語。
『麦踏みクーツェ』とか、出たものはみんな追っかけていますが、がっかりしたことはありません。

この日記、小説のためにプラネタリウムの解説員や手品師の方たちに取材をしていたり、そのあともお付き合いを続けていることがわかったりして、小説を知っているととてもとても楽しめます。


さて、
来週はいよいよ引越し。またいつもの地方都市でのいつもの暮らしが始まります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月 3日 (木)

てのひらの魔術

もう、今書かないと忘れちゃう!という危機感に背中を押されています。かなり過去のことになってきました、5月上旬のニューヨーク行き。

ちょっと前、ニューヨークのSOB’Sというバー・ライブハウスを訪れたことを書きました。

ここでのお話の続きです。
実は、この日の2時間ほど前にはマンデイ満ちるさんのライブがあったのですが、それは仕事のせいでパス。そのライブの後、NYサルサの歴史を作ったファニアレーベルの再発がらみで、記念イベントがあったのでいってみました。


客席にはすごくセクシーなダンスをする女性一人を、みんながうっとりしつつ、踊りつつみてたりして。Dsc00486

Dsc00483


ライブは、ボビートという若い詩人の司会で、地元の「イレアイレ」というパーカッション主体のバンドの生演奏をはさんだりして、ものすごかったです。
Dsc00484

写真の真ん中の男性がボビート。歌もほかの人と比べれば(まあ詩人ですから)普通だし、踊りもすごく上手ではないんですが、あまり体を揺らさず、でも両手を前後に振りながらビートを感じている様子がものすごくセクシーで、サルサでした。

彼の手つきを見たら、昔、沖縄の島での宴会に参加したときのことを思い出しました。
砂浜にござをひき、横長のテーブルを並べただけの席でみんなが酒盛りをしていると
誰かが三線を引き出し、歌がはじまり、踊り出す人が出てくる。場が高まってきたころ、ほんとうに年取ったおばあが、娘に手を引かれて椅子に座り、楽しそうに私たちの様子をみていました。おばあは、たぶんあんまり体は動かせないんだけど、手を胸の前まで上げて、指は軽く握ったこぶしのようにして、動かすのは手首だけだったんだけど、その動きがすごくグルーヴィーだったのです。血の中に流れている音楽に体を任せる感じ。
そんな踊りをみていると、うっとりしてしまいます。

そして、この夜は、まさにボビートのちょっとした動きに釘付けでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月 4日 (水)

NYサルサ

NYより無事帰ってきたものの、なんとなくしゃっきりしないままのんべんだらりと今日に至ります。

今回は忙しくて、見たいと思っていたものの半分も見られませんでした、が。
いちばん、自分的に反省したのは、ミュージカル「ママミーア」で爆睡したこと。疲れていたせいもあったけど、、、、。
実は、「ママミーア」は、「せっかくニューヨークに行ったんだから、ミュージカルぐらい見ないとね、、、、」という貧乏根性で見に行ったら、自分の正直な感想(つまんない、、、、)がねじふせたという感じでしょうか。
ちょっとベタすぎて、、、、。もう吉本みたいなシモネタ爆発で、まわりのおばちゃん大爆笑、歌えばみんな大拍手、で、客席には「料金分楽しんでやるぞ」という気迫みたいなものが満ち溢れていて、それがなんか、辛かったです。
なんか、余裕がない感じが、、、、。
もともと、ニューヨークと言うのはこういう、世界最高の芸を競う場所、そして見に行く場所だとは思うのですが、それはそういう余裕のなさと表裏一体なのですね。

そういうなか、面白かったのが、
ファニアのベスト盤発売のイベントでした。

Fanianyc_front_final

ファニア・オールスターズというのは、サザンオールスターズの名前のソースともなった、ニューヨークサルサのスターバンドです。


THURSDAY MAY 15 2008
Tribute to Fania
& Official NYC Release Party for DJ Sake
One's Fania Live 03 CD

Featuring DJs:
Bobbito aka Kool Bob Love (NYC)
Sake One (SF)
Laylo (NYC)
spinning Classic Salsa, Afrobeat, Soul, and Hip Hop

Live Performance by:
Ilu Aye
(Afro-Caribbean Roots Music)
Hosted by:
Flaco Navaja (NYC)
Fran Boogie (SF)


お店のイベント案内によると、
S.O.B.’s celebrates the release of Fania Live, a collection of the fabled salsa label’s tracks mixed by standout Bay Area spinner Sake 1—who happens to be the brother of the late, great NYC DJ and former TONY Clubs editor Adam Goldstone. Besides Mr. 1, you’ll get more deck action from Bobbito and Laylo, with local Latin combo Ilu Aye performing live. ¡Wepa! For more info, go to sobs.com.

DJ Sake 1 によるファニアのベスト盤の発売を記念して開かれたイベントだったのです。

(ちょっと忙しくて、完成まで寝かしておくとまだまだ時間がかかってしまいそうなので、とりあえずここでアップします。続きはいずれ。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月 1日 (木)

ガマの油売り(?)上原ひろみ賛江

2枚が4枚、4枚が8枚、8枚が16枚。

昔懐かしい、ガマの油売りの名文句です。
「取り出したるは夏なほ寒き氷の刃。」とドキドキするような日本刀を見せ、半紙を二つ折りにして日本刀で2枚に。2枚を重ねて4枚に、、、、と日本刀の切れ味を試しておいて、腕に傷薬「ガマの油」を塗った後、おもむろに腕にすっと切りつけると、全く血が出ない。
これがどんな傷も治してくれるガマの油の効能というわけです。

早速無駄話でした。


とにもかくにも、チック・コリア&上原ひろみの武道館ライブ、行ってきました。

チックは、「司会、パーカッション、ピアノ チックコリア」。という感じで終始大サービス。
MCの中では、「日本にはたった1泊して、また次のコンサートに向かうんだよ」、なんてコメントもあって、チックのこのライブへの思いが感じられました。

上原さんは、音数で言うとチックの2倍は弾いていたと思います。でも、最後まで一音一音がすごくクリアーに聞こえて、、、、。なんてピアノがうまいのだろう、と思いました。
対するチックは、スモーキーな和音で、間で聞かせるタイプの演奏。「もあ~ん」とした音の塊が置かれていく感じで、目立たないぶん、コンサート全体で上原さんに食われていました。
でも、ほおっておけばどんどん飛んでいってしまう上原さんの滑走路的な役割を、チックも楽しんでいるようにも見えて。本当に楽しそうに演奏を続ける二人を見ているとハッピーになってしまう感じで、幸せな2時間でした。

というとチックは伴奏していたか、という話になりますが、もちろん違います。
ほんとうに耳のいい二人。実に、相手のフレーズを聞きながら音を出しているのです。即興なのか、オブリガートの瞬間もあったりして、そんな瞬間にははっとさせられます。

この二人にはアルバムもあるのですが。



"Duet" Chick Corea & 上原ひろみ


このアルバム、ブルーノート東京のライブだから、というわけでもないのでしょうが、なんだかやたら食器のカチャカチャの音が聞こえるのですが。これもなにやら

"Waltz for Debby" Bill Evans trio を思わせて、逆に名盤感を高めていたりもします。


えーと、ガマの油売りの話を忘れるところでした。

ライブの最中、上原さんのリズム認識が日本人離れ(むしろ人間離れ?)していると感じる瞬間が、何度もありました。チックの四分音符のメロディーの裏で、上原さんは思いっきり16分音符の早弾きフレーズを鳴らしていたりして、そのタイム感が、異常な感じともいえるんだけど、なんかすごく新鮮なリズム認識でした。

うまく言えるかな、、言葉にするのが難しいのですけれども、、、、


ピアニスト、グレン・グールドのドキュメント番組を見たことがあります。たぶんカナダの国営放送の制作だったかな。
グールドはカナダの大自然を散策している。そこで、(たぶんバッハの)フレーズを口づさむのですが、グールドは、16分音符を「タラリラ タラリラ」とは歌わず、「パパパパ パパパパ」と、一音一音をパ音で歌っていたのです。(うろおぼえなので、本当にパパパパだったかは別として、、、、、)

このシーンを見たとき、グールドにとっては、16分音符は4つで一つのまとまりではなく、それぞれ独立した音符なのだと思って感動した覚えがあります。

タラリラ(×4回)と歌えば、それは常に4×4で区切れる安定した音の塊なのですが、パパパパと、あえて音の関係性をなくして歌うことで、さまざまな区切りを容認する不安定な音の連なりに変わります。
メロディー、音の強弱、息継ぎなど、さまざまな要素で、たとえば3・3・3・3・4=16、3・3・4・3・3=16、、、、、などなど、無限の区切りがありえるし、また実際に、複数の区切りが併行して感じられ、そのために幻聴のようにうねりが聞こえてくるのです。

上原さんのリズム認識も、4分音符があればそれをさらに4つに割って16に感じようとする、その細かさと、その譜割りの融通無碍さが、とても異常で、そして好ましく感じられました。


ところで、終始押されてたチックが本領を発揮したのがアンコール。
セロニアス・モンクの"Ba-Lue Boliver Ba-Lues-Are"というブルースでした。
オリジナルはこの超破綻しまくりの大名盤より。



"Brilliant Corners" Thelonious Monk

チックがテーマを提示したときはいかにもブルース、といったルーズな「南の感じ」が横溢していたのですが、それを上原さんがどんどん微分していくと、モンクの音楽の持つ豊かさ、潤いが消えていった気がしたのです。

私がモンクの音楽に愛着を感じているということが大きいのかもしれませんが、たぶん、モンクの音楽は上原さんのような「微分的」解釈では、指の間をすり抜けていってしまうたぐいの音楽なのです。
そういえば、チックもこの曲のバッキングだけは執拗にテーマメロディーを意識した弾き方をしていましたが、モンクの曲のおそろしさは、そういうふうに慎重に扱わないと弾き手が浮いてしまうほどの強いブラックネスが、メロディーそのものに宿っているということなのでしょう。
この曲だけは、完全にチックの一人勝ち。


でも、そんなふうにキャリアも年齢も違う二人が奇跡のようにじゃれあう様子を見ていると、小ざかしい分析なんて吹き飛んでしまうのも確か。

とにかく、二人は楽しそうだった。

それが一番、大事なことで、それを感じたからお客さんはみんな幸せな気分で武道館を後にしたのだと思います。

素敵なコンサートでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧